Lemaire(ルメール)

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ルメール(Lemaire)は、現代ファッションにおいて「クワイエット・ラグジュアリー(控えめな贅沢)」という言葉が定義される遥か前から、その本質を体現し続けてきた稀有なブランドです。元エルメスのアーティスティック・ディレクターであるクリストフ・ルメールと、彼の人生のパートナーであり共創者でもあるサラ=リン・トラン。この二人が率いるパリのメゾンは、流行という刹那的な現象に背を向け、着る人の人生に深く根を下ろす「日常の制服」を提案しています。

ヘルムート・ラングが1990年代に構築したミニマリズムが、都市の鋭利さや冷徹な知性を象徴していたとするならば、ルメールが提示するのは、人間の体温や生活の匂いを感じさせる「有機的なミニマリズム」です。ここでは、ブランドの揺るぎない歩みと、細部に宿る執拗なまでのこだわり、そして私たちがなぜこれほどまでにルメールに惹かれるのか、その理由を深く掘り下げていきます。


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Lemaire の歴史:静かなる革命の系譜

1. キャリアの夜明けと独学の精神

クリストフ・ルメールは1965年、フランス東部のブザンソンに生まれました。彼は、いわゆるファッションのエリート教育を受けたわけではありません。当初は文学や芸術、そして何よりも音楽に深く傾倒していました。10代の頃にパンクやポストパンクの洗礼を受け、衣服が持つ「自己表現としての力」に目覚めた彼は、独学でデザインの基礎を学び始めます。

1980年代、彼はパリでいくつかの重要なインターンシップを経験します。イヴ・サンローランというモードの頂点、そしてティエリー・ミュグレーという劇的な造形。しかし、彼に最も大きな影響を与えたのは、ジャン・パトゥで出会ったクリスチャン・ラクロワでした。ラクロワの鮮やかな色彩感覚とオートクチュールの技術を間近で見たクリストフは、衣服が持つ「構造美」と「職人技」の重要性を骨の髄まで叩き込まれました。

2. 1991年、ブランドの産声と初期の葛藤

1991年、26歳の若さで彼は自身のブランド「Christophe Lemaire」を設立します。当時のパリ・モードは、ジャン=ポール・ゴルチエに代表されるようなアヴァンギャルドなデザインや、きらびやかな装飾が主流でした。その中で、クリストフが提示した「極めてシンプルで実用的な服」は、当初は異端として映りました。

しかし、彼は自身の信念を曲げませんでした。彼は日本の着物や、アジアの作業着、アフリカの民族衣装などが持つ、一枚の布を体に巻き付けることで生まれる「空間」に美を見出しました。服と体の間に流れる空気、その余裕こそが、着る人に自由をもたらすと信じていたのです。1994年にメンズラインを始動させると、その「特定の時代に依存しない美しさ」は、感度の高い文化人やアーティストたちの間で静かに、しかし確実に支持を広げていきました。

3. ラコステでの10年間:大衆性と機能美の融合

2002年、クリストフは大きな決断を下します。老舗スポーツブランド「ラコステ(LACOSTE)」のアーティスティック・ディレクターに就任したのです。これは当時のモード界にとって驚きの手札でした。

当時のラコステは、過去の遺産に頼り切り、若者からは見放されつつあるブランドでした。クリストフは、ブランドの創業者であるルネ・ラコステの精神に立ち返り、スポーツウェアが本来持っている「機能性」と「清潔感」を、現代の都市生活にフィットするように再構築しました。

彼はここで「100万人に届く服」を作る難しさと喜びを学びます。自身のブランドを一時休止してまで打ち込んだラコステでの10年間は、彼に「民主的なデザイン」の重要性を教えました。この経験が、後のユニクロとの提携における「質の高い日常着をすべての人に」という思想の土台となったことは間違いありません。

4. エルメスでの頂点と、サラ=リン・トランという光

2010年、クリストフはファッション界の最高峰である「エルメス(HERMÈS)」のウィメンズ・アーティスティック・ディレクターに招聘されます。ジャン=ポール・ゴルチエの後を継ぐという重責に対し、彼は「静寂」をもって応えました。

エルメスでの彼は、最高級の素材をこれ以上ないほどシンプルに仕立てることで、真のラグジュアリーを表現しました。彼の作るエルメスは、富を誇示するための道具ではなく、着る人の知性を際立たせるための背景でした。

そしてこの時期、彼の人生において最も重要な出会いが形になります。2006年頃に出会っていたサラ=リン・トランとの共創が本格化したのです。サラはクリストフのストイックなデザインに、女性特有の繊細な感情や、どこか映画的なロマンティシズムを注入しました。2014年、エルメスを去る決意をしたクリストフは、ブランド名を「LEMAIRE」へと刷新。サラと共に、自分たちが理想とする「終着点」へ向かって歩み始めました。

5. 現代:Uniqlo U とグローバル・アイコンとしての成功

2015年に始まったユニクロとのコラボレーションは、単なる一過性のブームに終わりませんでした。現在も続く「Uniqlo U」のラインは、クリストフをパリのR&Dセンターのディレクターに据えることで、世界中の人々に「ルメールの美学」を届けることに成功しました。

一方で、メインラインであるLEMAIREは、パリの Place des Vosges(ヴォージュ広場)に拠点を構え、独立独歩の姿勢を貫いています。2018年にはファーストリテイリングが資本参画しましたが、彼らのクリエイティブは完全に自由なままです。現在、LEMAIREは特定のトレンドを追う必要のない「確立された世界観」として、世界中のファッショニスタのクローゼットに鎮座しています。


ルメールのデザイン哲学:衣服は住居である

ルメールの服作りを理解するためのキーワードは「リアリティ(現実)」です。彼らは、ランウェイの上だけで美しく見える服には興味がありません。

  1. 衣服は住居である(Clothing as a home)クリストフとサラは、服を「人が生活を営むための最も小さな家」だと定義しています。家が風雨を凌ぎ、住む人をリラックスさせる場所であるように、服もまた着る人を保護し、精神的な安らぎを与えるものでなければなりません。そのため、ルメールの服には不自然な締め付けがなく、動きやすさを確保するためのマチや、実用的なポケットが執拗なまでに計算されて配置されています。
  2. 素材への偏愛とドライシルクルメールを象徴する素材に「ドライシルク」があります。これは、シルクが持つ特有の光沢を抑え、あえて紙のような乾いた質感に仕上げたものです。これにより、ラグジュアリーでありながら日常に馴染み、洗濯も可能という実用性を獲得しました。また、ベンタイルコットンや高密度のウールなど、時を経るごとに味わいが増す素材選びは、ブランドの「タイムレス」な姿勢を象徴しています。
  3. カラーパレットの物語性ルメールの色使いは、他のブランドとは一線を画します。彼らが好むのは、セージ、テラコッタ、タバコ、エクリュといった、自然界や古い建築物、あるいは1970年代の映画のフィルムを思わせる中間色です。これらの色は、着る人の肌の色に自然に馴染み、都市の風景に溶け込みます。単一の色ではなく、複数の色が混ざり合ったような絶妙なトーンは、重ね着(レイヤード)をすることでさらに深みを増すように設計されています。

時代を彩るルメールのアイコンとコレクション

  1. クロワッサンバッグ(The Croissant Bag)今や世界中で目にするこのバッグは、文字通りクロワッサンの形から着想を得ています。しかし、単なるユニークな形ではありません。人間工学に基づき、肩に掛けた際に体に吸い付くようなフォルムは、両手を自由にし、現代人の機動性を高めます。柔らかなナッパレザーが使い込むほどに体に馴染む様子は、まさにルメールの哲学を体現したプロダクトです。
  2. 2015年秋冬コレクション:新生ルメールの宣言ブランド名をLEMAIREに変更してから初のウィメンズコレクション。オーバーサイズのコートに、ゆったりとしたタートルネック。サラの影響が色濃く反映された「強さと脆さが同居する女性像」は、その後のブランドの方向性を決定づけました。
  3. 2021年秋冬コレクション:ホームとアウトサイドの境界パンデミックという特殊な状況下で発表されたこのコレクションは、家の中での快適さと、外に出る際のエレガンスをシームレスに繋ぎました。パジャマのようなセットアップに重厚なコートを羽織るスタイルは、新しい時代のライフスタイルを完璧に予見していました。

ヘルムート・ラングからルメールへ:受け継がれる遺産

ヘルムート・ラングが1990年代に切り拓いた「装飾を排し、本質を追求する」という道は、今、ルメールによってより人間味のある、より豊かな形で受け継がれています。

ラングの服が「武装」に近い感覚を持っていたとするならば、ルメールの服は「抱擁」に近い感覚を持っています。どちらも、着る人の個性を消すのではなく、不必要なノイズを排除することで、その人本来の姿を浮かび上がらせるという点では共通しています。

ルメールが私たちに教えてくれるのは、ファッションとは他人を驚かせるための見世物ではなく、自分自身を大切に扱い、日々を丁寧に生きるための「良き相棒」であるべきだ、ということです。


ルメールの遺産と未来への展望

ルメールの最大の功績は、ファッションのスピードを遅らせたことにあります。彼らは年に数回のコレクション発表を行いますが、その本質的なスタイルは20年前から大きく変わっていません。新作が旧作を否定するのではなく、新作が旧作を補完し、クローゼットの中の物語を豊かにしていく。この「持続可能なエレガンス」こそが、大量消費社会に対する彼らなりの、最も力強い抵抗なのです。

クリストフ・ルメールとサラ=リン・トラン。この二人が今後どのような風景を私たちに見せてくれるのか。それはきっと、劇的な変化ではなく、朝の光がゆっくりと部屋を満たしていくような、静かで確かな変化であるはずです。私たちはその変化を楽しみながら、一着のルメールに袖を通し、今日という現実を一歩ずつ歩んでいくのです。

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