カサブランカ(Casablanca)は、2018年にシャラフ・タジェルによってパリで設立された、現代のラグジュアリー・ファッションに「楽観主義」と「高揚感」を再定義した最重要ブランドの一つです。ブランド名は、創業者のルーツであるモロッコの都市カサブランカに由来しています。
ヘルムート・ラングやルメールが都会的な緊張感や静寂を追求したのに対し、カサブランカが提示したのは、バカンスの後の心地よい疲労感や、夕暮れ時のホテルのラウンジを彷彿とさせる「アフタースポーツ(Après-sport)」のエレガンスです。テニスウェアの清潔感と、モロッコの豊かな色彩、そしてフランスのクチュールの洗練を融合させたそのスタイルは、設立からわずか数年で、ストリートウェアの次にくる「新しい時代のラグジュアリー」として確固たる地位を確立しました。ここでは、カサブランカが描く理想郷のような美学と、その成功の裏にある緻密なクラフトマンシップについて圧倒的なボリュームで詳述します。
1. シャラフ・タジェルの軌跡:二つの文化が交差する場所
カサブランカの成功を語る上で、創業者シャラフ・タジェルの類まれなる背景を欠かすことはできません。パリで生まれ、モロッコの両親を持つ彼は、二つの異なる文化が美しく交差する場所で育ちました。
パリのナイトライフとピガールの創設
シャラフはカサブランカを立ち上げる前、パリの伝説的なナイトクラブ「ル・ポムポン」の運営に携わり、クリエイティブ集団「ピガール(Pigalle)」の共同創設者の一人としてストリートシーンの最前線にいました。彼は、音楽、アート、そしてファッションが混ざり合う熱狂的な現場で、人々を惹きつける「物語」の作り方を学びました。
理想主義(Idealism)の追求
2018年に自身のブランドを立ち上げたとき、彼が掲げたテーマは「理想主義(Idealism)」でした。それは、現実の厳しさから目を背けることではなく、美しさを通じて世界をより良い場所に変えようとするポジティブな姿勢です。彼は、自分の両親がカサブランカのアトリエで出会ったという個人的な歴史と、フランスの伝統的なエレガンスをミックスし、誰もが憧れる「美しい生活」を衣服へと昇華させました。
2. デザイン哲学:アフタースポーツ・エレガンス
カサブランカのデザインの核にあるのは、1980年代から90年代の華やかなカントリークラブや、高級ホテルのライフスタイルに対する憧憬です。
アフタースポーツ(Après-sport)という概念
彼らが提唱するアフタースポーツとは、スポーツをしている最中ではなく、スポーツを終えた後のリラックスした時間を指します。テニスコートを離れ、シャワーを浴びて、上質なシルクのシャツを羽織り、カクテルを楽しむ。その贅沢でゆったりとした空気感を、彼らはパイル地のウェアや洗練されたトラックスーツ、そしてシグネチャーであるシルクシャツで表現しています。
ハンドペイントによるシルクプリント
カサブランカを象徴するアイテムといえば、鮮やかなグラフィックが施されたシルクシャツです。これらのプリントは、すべてパリのアトリエで職人によるハンドペイントから始まります。モロッコのタイル(ゼリージュ)の幾何学模様、南仏のテニスコート、地中海の果実、そして幻想的な風景。これらの豊かな色彩は、デジタルプリントでは表現できない深みと温かみを持ち、一着のシャツを「着るアート」へと変えています。
建築と自然の融合
シャラフは建築に対しても深い造詣を持っており、メンフィス・グループのデザインや、アール・デコ、ポストモダニズムの要素をデザインに巧みに取り入れています。人工的な建築の美しさと、モロッコの広大な自然のコントラスト。この絶妙なバランスが、カサブランカの服に唯一無二の奥行きを与えています。
3. ニューバランスとの共演:スニーカーシーンへの衝撃
カサブランカの名を一躍世界中に広めたのは、スニーカーブランド「ニューバランス(New Balance)」とのパートナーシップでした。
- 327と237の世界的ヒット
- 2020年、まだ発売前だった「327」というモデルを、カサブランカがコレクションの中で初めて発表しました。
- 鮮やかなオレンジとグリーンに、高級車の内装を思わせるパンチングレザーを組み合わせたそのデザインは、スニーカー愛好家だけでなく、ラグジュアリーファッションを好む人々にも衝撃を与えました。
- これにより、ニューバランスは「ハイエンドなファッションアイテム」としての新しい顔を手に入れ、カサブランカはスニーカーという媒体を通じて、自らの世界観をより広い層へと浸透させることに成功しました。
4. アイコニックなアイテム:バカンスを彩る名作たち
カサブランカのコレクションには、特定のトレンドを超越したアイコンが数多く存在します。
カサブランカ・テニス・クラブ
テニスはブランドの永遠のテーマです。パイル地で作られたポロシャツや、白と緑を基調としたテニスセーターは、伝統的なスポーツウェアの規律を守りつつ、最高級のカシミアやコットンを使用することで、ラグジュアリーな一着へと昇華されています。
シルクシャツの多様性
シーズンごとに発表されるシルクシャツのコレクションは、コレクターズアイテムとしての価値も持っています。モロッコの夕陽をイメージしたグラデーションや、1970年代のモータースポーツを想起させるプリントなど、それぞれのシャツには独自のストーリーが込められています。
ジュエリーとアクセサリー
カサブランカは近年、ジュエリーラインも強化しています。真珠、ゴールド、エナメルを使い、ヴィンテージのホテルの鍵やテニスラケットをモチーフにしたアクセサリーは、アフタースポーツの装いに完璧な仕上げを添えます。
5. ヘルムート・ラングやルメールとの対比で見える独自性
本サイトで紹介している他のブランドと比較すると、カサブランカの立ち位置は非常に「開放的で外向的」です。
ヘルムート・ラングが冷徹なまでの知性を、ルメールがパリの詩的な静寂を追求しているとすれば、カサブランカは「生きる喜び(Joie de vivre)」を追求しています。ラングの服が都市という戦場へ向かうための鎧であるなら、カサブランカの服は、自分自身の人生を祝祭に変えるための衣装です。
しかし、両者には共通点があります。それは「完璧な美の追求」です。シャラフ・タジェルは、カサブランカの服を「一生モノのラグジュアリー」にすることを目指しています。派手なプリントの裏側には、厳格な仕立て(テーラリング)の技術が隠されており、袖を通した時のシルエットの美しさは、伝統的なサヴィル・ロウの技術にも通じるものがあります。ミニマリズムが「余白の美」であるなら、カサブランカのマキシマリズムは「充填された美」なのです。
6. カサブランカの遺産と未来への展望
カサブランカがファッション界に遺している最大の功績は、ラグジュアリーに「楽しさ」と「色彩」を取り戻したことです。
情報過多で、時には閉塞感を感じさせる現代において、彼らが提示する「美しい風景と、美しい服」という純粋なメッセージは、世界中の人々に希望を与えました。彼らはLVMHプライズのファイナリストにも選ばれ、現在はメンズだけでなくウィメンズラインも急速に拡大しており、パリを拠点とする新しい時代のメゾンとしての地位を固めています。
シャラフ・タジェルは、カサブランカを「現代のシャネルやエルメスのような、永遠のメゾンにしたい」と語っています。その言葉通り、彼は一時のトレンドに流されることなく、自分たちのルーツであるモロッコの職人技と、パリの洗練を融合させ、新しい時代のスタンダードを作り上げようとしています。
カサブランカの服を身に纏うことは、自分自身を理想の風景へと連れ出すことです。地中海の風、カサブランカの夕暮れ、そして最高級のシルクの肌触り。カサブランカは、私たちの日常を、最も鮮やかで優雅なバカンスへと変えてくれるのです。
流行が去り、喧騒が静まった後も、あの美しいプリントシャツと、アフタースポーツの穏やかな時間は、私たちの記憶の中で永遠に輝き続けるでしょう。
