男装と女装という二項を、服そのものの側からほどき直す動きが続いている。1980年代に Comme des Garçons が黒のシルエットでパリを揺らした地点から、Telfar のショッピングバッグが「誰でも持てる」というスローガンを政治的に響かせる現在まで、ジェンダーレス・ファッションは流行語であると同時に、衣服史の構造を問い直す批評の言語として機能してきた。1980年代と2020年代を直線で結べないのは、その間に「装いを通じて自分が誰であるかを表明する」という前提自体が、何度か書き換えられているからだ。本稿では、その輪郭・系譜・現代モードの再構築・素材論・都市別の温度差・抱える矛盾・編集部の見立てを、装いの実装に落とせる粒度で読み直していく。
ジェンダーレスという概念の輪郭
「ジェンダーレス・ファッション」は、性別に紐づく服装規範を解除した装いを指す総称だが、実態は単一ではない。少なくとも三つの層が混在している。第一は、男女どちらでも着られる「ユニセックス」の発想で、これは1960年代のヒッピー文化や Pierre Cardin の宇宙服的デザインまで遡れる古い概念である。第二は、男性が女性的とされてきたシルエットや素材を、女性が男性的とされてきたテーラリングを、それぞれ越境して身につける「クロスドレッシング」の系譜で、デヴィッド・ボウイの Ziggy Stardust やパティ・スミスの白シャツがその象徴になる。
そして第三が、現在の議論の中心にある「ノンバイナリー」あるいは「ジェンダー・フルイド」と呼ばれる立場で、性別の二項そのものを前提にしない衣服のあり方を志向する。Harry Styles が Vogue 表紙でレースのドレスを着た2020年12月号以降、英語圏のメディアでは genderless よりも gender-fluid という語の使用頻度が高まった(出典: Vogue US, Dec 2020 issue / Google Trends)。日本語の「ジェンダーレス」は便宜的な括りとして第三層まで含めて使われがちだが、書き手としては三層の差異を意識しておきたい。
もう一つ重要なのは、ジェンダーレスは「中性的に見えること」とイコールではない、という点だ。ボリュームのあるドレスを男性が着ることも、ピンストライプのスーツを女性が着ることも、どちらもジェンダーレスの実践になりうる。性別の記号を消すのではなく、記号の配分を組み替える振る舞いとして読むと、議論の射程が広がる。中性化を志向する側と、過剰化によって性別の境界そのものを破る側は、一見対極に見えて、二項を相対化するという目的を共有している。
制度の側でもこの認識は遅れて追いついてきている。日本国内の小売現場ではいまだ「メンズ」「レディース」の什器配置が標準だが、ZOZOTOWN や BEAMS の一部店舗、IDEE のセレクトなどで「ジェンダーレス」や「ユニセックス」のカテゴリ運用が増えてきており、購買導線レベルでの再設計が進みつつある(出典: 各社公式アナウンス・2024-2025)。書き手・売り手・着る側のいずれも、概念を一段細かい解像度で扱う準備が必要になっている。
「ジェンダーレス・ファッション」は、性別に紐づく服装規範を解除した装いを指す総称だが、実態は単一ではない。
歴史の地層 — 性別と服のねじれの系譜
「男はズボン、女はスカート」という現在の常識は、歴史的にはむしろ例外に近い。17世紀フランス宮廷ではルイ14世がハイヒールとレースの装飾を身につけ、それは王権と男性性の象徴だった。ハイヒールが女性のものになるのは、18世紀末以降にブルジョワ男性が「実用と理性」を装いの規範にした「グレート・メンズウェア・リナンシエーション(男性大放棄)」以降のことで、心理学者 J.C. Flügel が1930年に提示した概念である(出典: Flügel, The Psychology of Clothes, 1930)。
20世紀に入ると、Coco Chanel が1920年代にメンズの素材であったジャージーを女性服に持ち込み、Marlene Dietrich が映画『モロッコ』(1930)でタキシードを着てキスをした。Yves Saint Laurent の「Le Smoking」(1966)は、女性のためのタキシードを高級モードの主役に押し上げた象徴的なコレクションで、以後、女性がメンズワードローブを引用することは「強さ」の記号として定着していく。
一方、男性が女性的とされる装いを引用する動きは、サブカルチャーの側から立ち上がってきた。1970年代のグラム・ロック、1980年代の Boy George や Prince、1990年代のヴィジュアル系。これらはモード本流の外側で「男が華やかであること」の可能性を提示し続けた地下水脈で、現代のジェンダーレスを語る上で外せない。ヴィンテージ古着の文脈でも、80年代の hair metal 期のシルクシャツや90年代のアンドロジナスなオーバーサイズは、現在のスタイリングに再接続できる素材として再評価が進んでいる。
もう一つ忘れにくいのは、第二次大戦中の女性労働力動員でパンツスタイルが「労働着」として一般化した経緯だ。Rosie the Riveter のイメージは、政治的な要請が衣服規範をどれだけ短期間で書き換えうるか、を示す歴史的なデータでもある。同様に、戦後の Levi’s 501 を女性が穿き始めるのは1960年代以降の現象で、それまではメンズサイズを腰で絞って穿く非標準的な振る舞いとして扱われていた。装いの「当たり前」は驚くほど短い周期で更新されている。
現代モードの再構築 — Comme des Garçons から Telfar まで
1981年、川久保玲が Comme des Garçons でパリコレクションに乗り込み、黒一色の穴あきニットを送り出した時、フランスのジャーナリストは「広島シック」と揶揄した。だが、性別に関わらず身体を覆い、シルエットで意味をつくるその方法論は、ジェンダーレスの現代的な原型である。Yohji Yamamoto も同様に、男性服と女性服の境界を意識的に溶かす設計を続けてきた。日本の「黒の衝撃」は、80年代以降の脱構築モードの起点として、今日まで参照され続けている。Maison Margiela が90年代に「サイズではなくフィット」を掲げて 0-10 のラインで身体感を再設計したのも、同じ系譜上にある。
2000年代に入ると、Raf Simons のメンズコレクションが「少年的な脆さ」を主題化し、男性性のイメージを内側から書き換えていく。Hedi Slimane 期の Dior Homme(2000-2007)が打ち出した極端に細身のシルエットは、皮肉にも「男性服を着る女性」のコードを生み、ジェンダーの記号を再配分する触媒として機能した。この時期の議論を経たうえで、2010年代の「ジェンダーレス」ブームに合流していくのが現代モードの骨格である。
2010年代後半以降、議論の中心は New York と London に移った。Telfar Clemence が手がける Telfar は、合皮のショッピングバッグを80ドル前後で展開し「Not for you — for everyone」をスローガンに掲げた。黒人クィアのデザイナーが、価格の壁とジェンダーの壁を同時に下げる戦略は、モードの政治性を再定義した事例として CFDA や LVMH Prize に評価された(出典: CFDA Accessory Designer of the Year 2020)。
Telfar と並走するように、Harris Reed のドラマチックなドレス、Palomo Spain のロマンティックな男性向けガウン、Eckhaus Latta のフルイドなニットウェア、Ludovic de Saint Sernin のセンシュアルなレザーが、性別ラベルを外したコレクション構成を提示してきた。Gucci もアレッサンドロ・ミケーレ期(2015-2022)に「MX」のラベル統合を打ち出し、メゾン規模での実装例を作った。後任の Sabato De Sarno はクリーンなミニマリズムへ舵を切ったが、性別を跨いだスタイリングという基本姿勢は維持されている(出典: Gucci公式リリース 2023/2024)。
もう一段マスに近いレイヤーでは、COS、& Other Stories、Acne Studios、A.P.C. などが「メンズ・レディース合同の什器」「同一型番をユニセックスサイズで展開」といったオペレーションを定着させた。ハイブランドのショーで提示される概念が、ファストモードと中価格帯の双方に翻訳されていく速度はかつてないほど速く、価格帯ごとに「ジェンダーレスの実装スタイル」が分化し始めている。コレクションだけを見ていると、この日常レイヤーの変化を見落としやすい。
シルエットと素材で性別を超える
ジェンダーレスな装いは、デザイナーズの新作だけで成立しているわけではない。日常のワードローブで実装するなら、鍵はシルエットと素材の二つに絞れる。
シルエットの第一原則は「身体の輪郭をなぞらない」ことだ。バストやヒップの位置を強調するダーツ、ウエストの絞り、肩のパッドの位置——これらは20世紀の途中で「男らしさ」「女らしさ」を構築するために設計された装置である。オーバーサイズのテーラードジャケット、ドロップショルダーのシャツ、ワイドのスラックス、ロングテール気味のコートは、装置を外しに行く方向のシルエットになる。ここで重要なのは「だぼっと見える」ことではなく、骨格と布の間に余白をつくることで、性別記号の読み取り速度を遅らせる、という設計意図である。
素材の側では、リネン、シルク、コットンブロード、ヘビーウェイトのスウェット、ウールメルトンなど「触感が前に出る素材」を選ぶと、装いの主役が「身体のかたち」から「布そのもの」へずれる。逆に、化繊のストレッチで身体に追従する素材は、性別記号を強調しがちなので、ジェンダーレスを志向するなら出番は限定される。色についても、モノトーン+1色のアースカラー、もしくはオフホワイト基調にニュアンスカラーを差すと、性別由来のカラーステレオタイプから距離を取りやすい。
古着レイヤーでこれを実装するなら、80-90年代のメンズシャツをワンサイズ大きく取り、ボトムにテーパードのウールスラックスを合わせ、足元はローファーかコンバット系のブーツに揃える、という組み立てが汎用性が高い。アクセサリーはシルバーの細チェーンとシンプルなフープピアスで、装飾の重心を顔まわりに集めない方が、装いの読み取りはニュートラルに寄る。
サイジングについては、メンズの S/M を基準に肩線・着丈・袖丈の三つを優先して見るとよい。肩線が肩峰より2-3cm 落ちる位置、着丈はヒップを覆う長さ、袖丈は手の甲に2-3cm かかる長さ、という三点が揃うと、ボディラインに依存しないシルエットが取りやすい。古着の場合は試着段階でこの三点をチェックリスト化しておくと、性別ラベルから自由なサイズ選びがしやすくなる。
レイヤリングでは、上半身に「シャツ+ベスト+カーディガン」のように同系色の薄手アイテムを重ねていくと、面の構成で性別記号を吸収できる。逆に、ジャケット+T シャツのようにレイヤーが少ないと、トップスの形状が直接読まれるので、サイジングに一段慎重さが要る。秋冬は素材の重量感、春夏はリネンやコットンの落ち感が、それぞれシルエットの主役を引き受けてくれる。
東京・パリ・ニューヨーク・ソウルの最前線
ジェンダーレスの実装は都市ごとに温度差がある。東京は、80年代の Comme des Garçons / Yohji の遺産と、90年代以降のヴィジュアル系・裏原宿カルチャーの二系統が交差する土壌があり、男性の装いが華やかになることへの抵抗感は他のアジア都市より低い。最近では、KIDILL や soshiotsuki が、メンズコレクションの中にスカートやドレスを自然に組み込み、ストリート文脈との接続を保ったまま提示している。
パリは、Y/Project(Glenn Martens 期)や Acne Studios のショーで男女合同のキャスティングが定着し、観客側もそれをスペクタクルとして消費しなくなった。批評の言語が成熟しており「ジェンダーレス」とラベルを貼ること自体が古い、という感覚すら出始めている。
ニューヨークは Telfar、Eckhaus Latta、Luar、KHAITE などが牽引し、政治性とビジネスの両立が議論の中心になる。コミュニティとしてのクィア・カルチャーとファッションが、商業的にも繋がっているのが特徴だ。
ソウルは、K-POP 産業の影響でメンズのメイクやアクセサリーの普及速度が早く、ストリート寄りのジェンダーレスがマス層に降りている。ADER ERROR や AVAVAV の手前で、Gentle Monster や Andersson Bell のような大型ブランドが「中性的なスタイリング」を標準にしているのが、他都市との差分になる。
このアジア圏のスピード感に対して、ミラノやフィレンツェのイタリア勢は、伝統的なテーラリングの上にジェンダーレスを乗せる難易度の高い舵取りを続けている。Brunello Cucinelli が女性のためのソフトテーラードを定着させ、Zegna が「Oasi Lino」のようなジェンダーニュートラルな素材ラインを打ち出すなど、保守的に見えるブランドこそ静かに前進しているのが2024-2025年の特徴だ。都市ごとに「どのレイヤーで実装するか」の戦略が分かれているという視点で観察すると、コレクションを見る目が一段細かくなる。
批評的視点 — 「ジェンダーレス」が抱える矛盾
ここまでポジティブな文脈で書いてきたが、ジェンダーレスは無傷の概念ではない。少なくとも三つの批判点を押さえておきたい。第一は「ジェンダーレス・ウォッシング」の問題で、コレクション写真の表面だけ性別を曖昧にしておきながら、社内の意思決定やキャスティングは旧来の構造のまま、というケースが少なくない。コレクションがフルイドであることと、ブランドの実装がフェアであることは別の話だ。マーケティング上の「ジェンダーレス」が一種のトレンド消費として回収されるとき、概念は鋭さを失う。
第二は、ジェンダーレスとされる装いが、結果として「中性的=痩せて背が高い」モデル体型を前提にすることが多く、別の身体規範を強化してしまう、という指摘である。Telfar や Eckhaus Latta が意識的にサイズとキャスティングを広げてきたのは、この批判への応答でもある。第三は、ジェンダーレスを謳う一方で、トランスジェンダーやノンバイナリーの当事者が実際に着られるパターンが提供されていない、という構造的なギャップだ。装いの政治性は、コレクション以前にサンプル設計の段階で問われる。
もう一つ、消費者側で見落とされがちなのが「ジェンダーレス=価格が高い」という構造の問題だ。ユニセックスを謳う新興ブランドの多くは、生産ロットが小さく、結果として単価が高くなる。本来は誰もがアクセスできるはずの概念が、所得階層によってフィルタされてしまう。古着市場やリユース市場が、この構造の外側で「ジェンダーレスを手の届く価格で実装する」回路として機能しているのは、批評的に重要な事実である。
編集部の見立て — 自分の身体で着る、という回復
ジェンダーレス・ファッションをめぐる議論の射程は、最終的には「自分の身体で服を着る」という、当たり前のはずの感覚の回復にあると考えている。性別に紐づいた既製の物語を一度脇に置き、自分の骨格・肌・呼吸に合うシルエットと素材を選び直す。それは政治的なステートメントである前に、極めて私的な作業だ。
その私的な作業を補助する道具として、香りの選択は驚くほど効く。Le Labo の Santal 33 のように、サンダルウッドとアイリスを軸にしたユニセックスのスキンセントは、装いがどの方向に振れていても、自分の輪郭を静かに連れ戻してくれる。香りは服よりも先に、性別記号から自由になり始めたカテゴリでもある。フローラルとウッディ、シトラスとアンバーといった二項を同居させる調香が当たり前になった結果、香水カテゴリでは「メンズ/レディース」のラベル自体が形骸化しつつある。
装いの議論は、いつでも自分のクローゼットの前に立ち戻れる。ライフスタイル全般の記事では暮らしの設計を、ファッションと香りの関係を扱う記事では装いと香りの結び方を、2025年のトレンド記事では同時代の空気を扱っている。ジェンダーレスは「特別な装い」ではなく、自分の身体で着るための前提条件として、これからも更新されていく。流行語としての賞味期限が切れたあとも、この前提だけは残り続けるはずだ。










