PERFUME

Frederic Malle — 調香師を表に立てる Editions de Parfums

パリ・サンジェルマン地区のラスパイユ通りに最初のブティックを構えた Editions de Parfums Frederic Malle は、二〇〇〇年の創業以来、香水を「ブランドのアイコン」ではなく「調香師の作品」として世に問い続けてきたメゾンである。創業者の Frederic Malle は、Parfums Christian Dior の創業に深く関わった一族に生まれ、幼少期から調香師たちの仕事を身近に見て育った。彼が打ち出した編集者的アプローチ――調香師に予算・時間・素材の制約を外し、その名をボトルに刻む思想――は、香水産業の構造そのものへの静かな批評として響いた。

ラベルに大きく記された調香師の名前。装飾を削ぎ落としたボトル。ブティックに据えられたガラスのスメリング・カラム。そのどれもが、香りを「物語の付随物」から「自律した作品」へと引き上げるための装置である。ここでは Portrait of a Lady、Carnal Flower、Musc Ravageur、Iris Poudre、Géranium pour Monsieur、French Lover といった代表作を軸に、Frederic Malle が何を語ってきたのかを、編集部の視点でたどる。

Frederic Malle の歴史 — 二〇〇〇年創業と Pierre Dinand のボトル

Frederic Malle は一九六二年、パリに生まれた。祖父の Serge Heftler-Louiche は Parfums Christian Dior の創立メンバーの一人として知られ、母の Marie-Christine は Dior のアートディレクションに長く関わった。家族の食卓には常に香水の話題があり、Malle 自身も大学卒業後、香料会社 Roure(現 Givaudan)で調香師たちと密に働く中で、「香水産業の主役は本来、調香師であるはずだ」という確信を深めていく。

一九九〇年代後半、彼はあるアイデアを温めていた。書籍出版に編集者がいるように、香水にも「エディター」がいてよいのではないか。調香師に大幅な自由を与え、出来上がった作品を編集者として世に送り出す。マーケティング起点のブリーフではなく、調香師起点の創造を中心に据える。これが Editions de Parfums Frederic Malle の根本コンセプトとなった。

二〇〇〇年、パリ六区のラスパイユ通り三十七番地に最初のブティックがオープンする。創業ラインナップは九本。Dominique Ropion、Edmond Roudnitska の息子 Michel Roudnitska、Maurice Roucel、Jean-Claude Ellena、Pierre Bourdon、Olivia Giacobetti といった、当時すでに業界内で重鎮と目されていた調香師たちの作品が、それぞれの名前とともに並んだ。香水の世界で調香師の名がここまで前面に出たのは、それまでほとんど例がなかった。

ボトルのデザインを任されたのは、フランス香水ボトル界の巨匠 Pierre Dinand である。Dior の Eau Sauvage、Yves Saint Laurent の Opium など、二十世紀後半の名作ボトルを数多く手がけた人物だ。Dinand は Frederic Malle のために、円柱状で透明感のある、装飾を極限まで削ぎ落としたフラコンを起こした。ラベルには調香師の名と作品名のみ。瓶そのものは黒子に徹し、中身の香りと作り手の名前が前面に出る構造である。二〇一四年には Estée Lauder Companies グループの傘下に入ったが、Malle 自身は引き続きクリエイティブ・ディレクションを担い、調香師中心の編集方針は維持されている。

そのどれもが、香りを「物語の付随物」から「自律した作品」へと引き上げるための装置である。

哲学 — 調香師を表に立てる「Editions de Parfums」という発明

Frederic Malle の最大の発明は、香水そのものというより、それを取り巻く「制度」の方にあるかもしれない。一般的な香水ブランドでは、調香師の名前は表に出されず、ブランド側のクリエイティブディレクターやマーケティング部門が物語を構築する。容器のデザイン、広告キャンペーン、香りのテーマ、ターゲット層――そのほとんどが事前に設計され、調香師はそのブリーフに従って香りを組み立てる役割を担う。

Editions de Parfums Frederic Malle は、この順番を逆転させた。Malle が信頼する調香師に声をかけ、予算・時間・原料コストに事実上の上限を設けず、「あなたが本当に作りたい一本を作ってほしい」と依頼する。出来上がった処方を Malle 自身が編集者として吟味し、対話を重ねながら仕上げる。最終的にボトルには調香師の名が刻まれ、ブランドの顔としてその人物が前面に出る。書籍編集者と作家の関係に近い構造だ。

この方式が機能した理由は二つある。一つは、Malle が業界の内側から育った人物であり、調香師たちから深い信頼を得ていたこと。もう一つは、二〇〇〇年前後の香水市場が大規模リリースで飽和しつつあり、書き手の顔が見える硬派な作品を求める層が静かに育っていたこと。Editions de Parfums Frederic Malle は、その静かな渇望に応える形で登場した。

もう一つ特徴的なのが、原料へのアプローチである。香水原料は近年、規制やコスト圧から代替品への置き換えが進んでいるが、Frederic Malle の作品では現代では使われにくくなった素材が高い濃度で配合されることが多い。Carnal Flower のチュベローズ・アブソリュート、Portrait of a Lady のターキッシュ・ローズ、Musc Ravageur のバニラとアンバー――どれも代表作と呼ばれる理由は、素材の質と量の両面で妥協していないことに直結している。

女性向け代表作 — Portrait of a Lady と Carnal Flower

Frederic Malle の女性向け代表作として真っ先に名前が挙がるのが、Dominique Ropion による Portrait of a Lady(二〇一〇年)と Carnal Flower(二〇〇五年)である。両者は対照的な性格を持ちつつ、Ropion という稀代の調香師の二つの極を示す作品として、しばしば並べて語られる。

Portrait of a Lady は、ターキッシュ・ローズを中心に据えたチプレ寄りのオリエンタル・フローラルである。冒頭から豊かなローズエッセンスが立ち上がり、フランキンセンス、パチュリ、ベンゾインといった樹脂・木質系の素材が深い影を落とす。バラの香水は数あれど、ここまでパチュリと拮抗させた構造はめずらしい。香りの輪郭は強く、残香は半日から一日近く続くこともある。フォーマルな夜の装い、あるいは秋冬の重ね着シーズンに、肌の奥からじわりと立ち上がる香りとして、世界中で支持を得てきた。

もう一方の Carnal Flower は、チュベローズの単一テーマに大胆に踏み込んだ作品である。チュベローズは扱いの難しい素材で、容易に「重く、官能的すぎる」方向に振れがちだが、Ropion はユーカリやメロン、ココナッツの軽やかなニュアンスを上に置くことで、湿った花弁の生々しさを保ちながら息のしやすい構造を作り上げた。名前のとおり「肉感的」でありつつ、白いシャツに似合うような清潔感も同時に持ち合わせる、稀有なバランスである。

合成のローズベースやチュベローズ調の香水は無数にあるが、本物の天然アブソリュートを高い比率で扱った時にしか出ない密度と艶が、両者には共通して感じられる。Frederic Malle が何を大切にしているのかが、嗅覚を通じて伝わってくる二本である。


関連レビューとしてFrederic Malle Portrait of a Lady の単品レビュー記事もあわせて読むと、ローズ・パチュリ系の好みを掘り下げやすい。

男性向け — Musc Ravageur、Géranium pour Monsieur、French Lover

Frederic Malle の男性向けと呼ばれる作品群も、ジェンダーの枠に収まらない柔軟さを持つ。Musc Ravageur(二〇〇〇年、Maurice Roucel)、Géranium pour Monsieur(二〇〇九年、Dominique Ropion)、French Lover(二〇〇七年、Pierre Bourdon)の三本は、それぞれ異なる方向から「男性らしさ」を再定義した作品だ。

Musc Ravageur は、シナモン、バニラ、アンバー、ムスクを大胆な濃度で組み上げたオリエンタル・グルマンに近い香りだ。名前は「破壊的なムスク」ほどの意味合いだが、実際の印象は意外にも温かく、肌に溶け込むような甘さを伴う。ユニセックスで愛好者が多く、二十年以上のロングセラーとなっている。Géranium pour Monsieur は、ゼラニウムを中心に据えたミント、アニス、フランキンセンス、パチュリの構成で、伝統的なフゼア系コロンの DNA を踏まえつつ、ハーバルで透明感のある現代的なテイストに仕立てている。クラシックな床屋の香りを思わせるノスタルジーと、Ropion らしい精緻な構築力が同居した一本だ。French Lover は、グリーンでアロマティックなトップから、アイリスやアンジェリカを介して、シダー・ベチバーの落ち着いた木質に着地する、知的でクリーンな香り。スーツに合わせて違和感のないオフィス向きの一本でありながら、Bourdon の手による陰影のある構成で単調にならない。



Musc Ravageur のより詳しいレイヤリングガイドでは、肌質や季節別の付け方を掘り下げているので、購入前の参考にしてほしい。

オーロラのような光 — Iris Poudre

Iris Poudre は二〇〇〇年の創業ラインナップ九本のうちの一本で、Pierre Bourdon の手による作品である。アルデヒドの輝きを冒頭に置き、アイリス、サンダルウッド、バニラ、ムスクを重ねた、パウダリーで気品のあるフローラル・ウッディだ。「アイリスの粉」という名のとおり、化粧パウダーや上質なシルクを思わせる、軽やかで貴族的な香りである。

アイリス香水は、根茎(オリスルート)から抽出される素材を中心に据えるため、原料コストが非常に高い分野として知られる。Iris Poudre はこの素材を惜しみなく使いつつ、アルデヒドの古典的な煌めきと組み合わせることで、Chanel No.5 系のクラシック・フローラルの系譜に連なる現代的解釈を成立させた。アイリスの土っぽさやヴァイオレットの粉感が冷たくなりすぎず、ムスクとバニラの体温で穏やかに包まれている。

この一本は、上質なニットや毛織のコートなど、肌に直接触れる衣服の手触りを思わせる香りとして語られることが多い。派手さで主張するタイプではないが、近づいた人にだけ静かに届く上品な余韻が長く残る。Portrait of a Lady のような濃密な作品が苦手な人や、フォーマルな場での香りを探している人にも合わせやすく、Frederic Malle の世界をまず穏やかな光のような一本から知りたい場合の入口になる。

ニッチフレグランス全体の地図感を掴みたい場合は、ラグジュアリー・ニッチフレグランスのガイド記事も合わせて読むと、Frederic Malle がどの位置にいるメゾンなのかが立体的に見えてくる。

編集部の見立て

Frederic Malle のラインナップは、いまや三十本を超える規模に膨らんでいる。創業当時の九本から数は増えたが、調香師ごとに棚を整理し、それぞれの作品に固有の名前と物語を保つ編集方針はぶれていない。香水を「調香師の作品」として扱うという最初の宣言が、二十年以上守られてきた事実そのものが、このメゾンの最大の説得力になっている。

編集部としての見立てを述べるなら、Frederic Malle は「自分の香りを言葉にしたい人」に向いたメゾンである。香水を雰囲気で買うのではなく、誰が、どんな素材で、どんな意図で組み上げた香りなのかを読み解きたい人にとって、調香師の名前が前面に出た棚は、そのための地図として機能する。Ropion、Roucel、Bourdon、Ellena といった現代の重要な調香師たちの仕事を、横断的に試せる場所は決して多くない。

選び方の起点としては、Portrait of a Lady と Iris Poudre のような対照的な二本を試し、密度の高い香りに惹かれるのか、軽やかな粉っぽさに惹かれるのかを確かめるとよい。男性向けと表記されるラインも Musc Ravageur のように性別を超えて愛される作品が多いので、ジェンダー表記にとらわれず、肌の上で試してから判断してほしい。

編集方針について — この記事は GUZ FASHION 編集部のPERFUMEカテゴリの編集方針に沿って制作されています。

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