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ストリートが服になるまで — ストリートウェアの歴史と、古着で辿る半世紀

スウェットやグラフィックT、スニーカーなどストリートウェアの装い

ストリートウェアは、舞台の上ではなく、路上から生まれた服です。デザイナーが完成された美を提示するのではなく、街の若者たちが自分たちのために作り、着て、広めていった。サーフボードの手書きサイン、スケーターのよれたTシャツ、ヒップホップの現場で交わされた一着。そうした飾らない始まりから、ストリートウェアはいまや高級ブランドと肩を並べるほどの文化へと育ちました。

おもしろいのは、その歴史の多くが、いまや古着としてしか出会えないという点です。半世紀のあいだに作られた無数の一着が、時を経て古着の棚に並び、新しい世代の手に渡っています。ストリートウェアを古着で辿ることは、そのまま文化の歴史をたどることでもあります。本記事では、その半世紀をたどりながら、古着という入り口から、ストリートウェアを文化として楽しむ視点を編集部の視点で書いていきます。ブランドの名前を覚えることよりも、その背後にある物語を知ることが、この服を深く楽しむ近道になります。

ストリートウェアとは何か

ストリートウェアを一言で言えば、街の文化から生まれ、街の人々が育てた服です。高級ファッションが、洗練された完成形を上から提示するものだとすれば、ストリートウェアはその対極にあります。価値の中心にあるのは、未完成であること、現場の空気をまとっていること、そして同じ文化を愛する仲間とのつながりです。

きれいに整っていることよりも、自分たちらしさが出ていること。誰かに与えられた正解ではなく、自分たちで作った価値。その姿勢が、ストリートウェアの根っこにあります。だからこそ、一枚のTシャツやスウェットの選び方にも、どの文化につながりたいのかという意思が表れます。ブランドのロゴは、単なる記号ではなく、その背景にある音楽やスポーツ、街の物語への共感の証でした。

この点が、ストリートウェアを他のファッションと分ける大きな特徴です。高級ブランドが歴史や職人技を価値の源泉にするのに対し、ストリートウェアは、いま現在の文化との結びつきを価値にします。だから、同じ一枚でも、それがどの文脈で生まれ、誰が着てきたのかという物語が、服そのものと同じくらい重みを持ちます。ストリートウェアを理解するとは、服の背後にある文化を読むことでもありました。そしてその文化は、音楽やスポーツ、アートといった隣の領域と常に手を結びながら、絶えず形を変えつづけています。

半世紀のあいだに作られた無数の一着が、時を経て古着の棚に並び、新しい世代の手に渡っています。

1970-80年代 — サーフとスケートとヒップホップ

ストリートウェアの源流は、1970年代の終わりから80年代の初頭にさかのぼります。生まれた場所は二つ。ひとつはアメリカ西海岸の、サーフとスケートの文化です。もうひとつは、ニューヨークのヒップホップの現場でした。どちらも、既存のスポーツウェアやファッションでは満たされない、自分たちの服を求める若者たちの欲求から始まっています。

西海岸では、波に乗り、街を滑る若者たちが、動きやすく、仲間内で通じる装いを求めていました。メーカーが用意したスポーツウェアではなく、自分たちの文化を映した服。その渇望が、手作りのTシャツやステッカーといった、小さな自家製の表現を生みます。一方ニューヨークでは、ヒップホップという新しい音楽とともに、装いそのものが自己主張の手段になっていました。どの一着を、どう着るか。それが、自分が何者かを語る言葉になったのです。遠く離れた二つの都市で、似た衝動が同時に芽生えていた。ストリートウェアが一過性の流行で終わらなかったのは、こうした切実な欲求から生まれたからでした。

象徴的な存在が、Shawn Stussy です。カリフォルニアのサーファーだった彼は、自分が削ったサーフボードに、サインのような独特の手書きロゴを記していました。そのロゴをTシャツにのせたところ評判を呼び、1984年には Stüssy というブランドとして限定的なTシャツの展開を始めます。サーフボードを売るかたわら、その横でTシャツを売る。商売と遊びの境目があいまいな、いかにも現場発の始まり方でした。

注目すべきは、それが手書きの署名から始まったという点です。完成された企業ロゴではなく、一人の人間の手の跡。この飾らないやり方こそ、後のストリートウェア全体を貫く精神になりました。自分の手で作る、仲間内で広める、大量生産の論理とは違うところで価値をつくる。さらに Shawn Stussy は、世界各地の気の合う店主や仲間を「インターナショナル・ステューシー・トライブ」と呼んで緩やかにつないでいました。ブランドを、商品ではなく仲間のネットワークとして育てる。この発想も、コミュニティを核とするストリートウェアの原型になりました。ストリートウェアのDNAは、この時代にすでに芽生えていたのです。一方、東海岸のヒップホップの現場では、音楽と装いが一体となって、自分たちのスタイルを主張する文化が育っていました。西と東、サーフとヒップホップ。異なる二つの源流が、やがて一つの大きな流れへと合流していきます。

1990年代 — カルチャーの体系化

1980年代の後半から90年代にかけて、ばらばらだった要素が一つのカルチャーとして体系化されていきます。ヒップホップ、スケートボード、グラフィティ。これらが交差する場所で、ストリートウェアは独自の言語を持ちはじめました。音楽が装いを生み、装いが音楽の現場を彩る。スケートのビデオに映る一着が憧れになり、グラフィティの色彩がグラフィックに流れ込む。異なる表現が互いに影響し合いながら、共通の美学を育てていったのです。

その象徴が、Supreme です。1994年、James Jebbia がニューヨークにSupremeの最初の店を開きます。彼はもともと Stüssy のニューヨーク店を任されていた人物で、スケーターたちのたまり場となるような店をつくりました。店内は、実際にスケートボードに乗ったまま入れるような造りで、客もスタッフもスケーターという、徹底して現場に根ざした空間でした。買い物の場であると同時に、仲間が集うコミュニティの拠点だったのです。

Supreme が確立したのが、数量を絞って発売し、その前に行列ができるという文化です。限定リリースと行列。この仕組みは、後にボックスロゴのTシャツが世界中で複製され、転売される現象まで生み出しました。ほしいものを誰もが手に入れられるわけではない。その希少性が、かえってコミュニティの結束と熱を高めていったのです。手に入れた一枚は、単なる服ではなく、その場に居合わせた証になりました。ものを売る仕組みそのものが、ストリートウェアでは文化の一部になったのです。スケートボードという、もともと社会の周縁にあった遊びの文化が、装いを通じて表舞台へ出ていく。その過程そのものが、ストリートウェアの物語でした。

裏原宿 — 日本からの逆輸出

ストリートウェアの物語は、アメリカだけのものではありません。同じ時期、東京の原宿でも、独自のシーンが燃え上がっていました。裏原宿と呼ばれるそのムーブメントです。

火をつけた一人が、藤原ヒロシです。DJであり、デザイナーでもあった彼は、ロンドンやニューヨークで最先端の音楽とストリートの空気に触れ、それを東京へ持ち帰りました。Stüssy の手作りの精神に触発され、自らのブランド GOODENOUGH を立ち上げ、80年代の終わりに東京でプリントTシャツを売りはじめます。音楽と服を行き来しながら文化を編集していくその手法は、日本のストリートシーンの原型になりました。

やがて、NIGO が率いる A BATHING APE が独特の迷彩柄とグラフィックで頭角を現し、高橋盾の UNDERCOVER とともに、裏原宿のシーンを牽引していきます。ここで起きたのは、単なる輸入ではありませんでした。アメリカで生まれた文化を、日本の感性で作り変え、世界へと送り返す。日本のストリート文化が海外へ逆輸出されるルートが、このとき開かれたのです。限られた数しか作らない、細部まで凝る、文脈を大切にする。裏原宿が磨いたこの姿勢は、いまも世界のストリートウェアに影響を与えつづけています。日本の古着文化やヴィンテージへの深い愛着も、この時代に育まれました。良いものを掘り出し、組み合わせ、自分の文脈で着こなす。その目利きの精神は、ストリートウェアと古着が日本でとりわけ豊かに結びついた理由でもあります。

ストリートを支えた定番

華やかなブランドの物語の一方で、ストリートウェアには、時代を超えて支持される定番の道具があります。新作の限定品に注目が集まりがちですが、実はこうした飾らない定番こそ、ストリートウェアの土台を支えてきました。その代表が、スウェットです。

なかでも知られるのが、Champion のリバースウィーブです。1934年に開発されたこの製法は、洗濯による縮みを抑えるために編み目の向きを変えた、丈夫なスウェットでした。リバースウィーブという名前は、生地を通常とは逆向きに編むこの工夫に由来します。もともとは大学のスポーツ向けに作られた実用品でしたが、80年代から90年代のヒップホップの現場で、本物のスポーツウェアとして再評価されます。飾りではなく機能から生まれた厚手の生地が、ストリートの空気とよく合ったのです。流行のために作られたものではないからこそ流行に左右されず、何十年も定番でありつづける。この息の長さも、機能から生まれた道具の強みでした。

そしてグラフィックTシャツとパーカーも、ストリートウェアの基本でした。一枚のTシャツにのせられたロゴやグラフィックは、どの文化につながりたいかを語る旗印になります。好きな音楽、好きなスケートブランド、好きなアート。胸元の一枚の図像が、言葉にしなくても自分の立ち位置を伝えてくれる。それが、ストリートにおけるグラフィックTの役割でした。Stüssy のパーカーが示したような、サーフ由来のゆったりとしたシルエットと、簡潔なロゴの組み合わせは、ベーシックでありながら文化を背負うという、ストリートウェアらしさを最もよく体現していました。

足元のスニーカーも、ストリートウェアと切り離せない要素です。バスケットボールやスケートの現場から生まれた一足が、装い全体の空気を決めます。一足のスニーカーをめぐって行列ができ、文化が動く。その熱もまた、ストリートウェアならではのものでした。スウェット、グラフィックT、パーカー、スニーカー。これらの定番が共通して持っているのは、もともと何かの現場のための実用品だった、という出自です。飾るために作られたのではなく、使うために作られた。その機能から生まれた飾り気のなさが、ストリートの美学とまっすぐに結びついています。高価なものである必要はありません。一枚の良いスウェット、一枚のグラフィックTから、ストリートウェアは始められます。むしろ、肩肘張らずに手に取れることこそ、路上から生まれたこの文化にふさわしい入り口でした。

古着で辿るストリートウェア

ここで古着の話に入ります。ストリートウェアと古着は、切り離せない関係にあります。なぜなら、ストリートウェアの歴史そのものが、いま古着の棚のなかに刻まれているからです。そもそもストリートウェアの愛好家たちは、早くから古着を文化の一部として大切にしてきました。過去の名作を掘り出し、そこに込められた文脈を読み解き、いまの装いに織り込む。新品の最新作だけでなく、過ぎ去った時代の一着に価値を見出す感性が、この文化には最初から備わっていたのです。

1980年代の Stüssy、90年代の Champion のスウェット、裏原宿期の一着。これらの多くは、もう新品では手に入りません。けれども古着の市場でなら、ストリートウェアが歩んできた半世紀の実物に出会えます。当時のグラフィックや色あせ、生地の風合いは、後から再現しても出せない本物の質感です。タグの形や縫製の仕様から、その一着がいつ作られたものかを読み解く楽しみもあります。年代によってロゴやプリントの手法が違い、その違いが一着ごとの個性になっています。同じ型でも一点ごとに着られ方が違うので、自分だけの一着になる。希少な一枚を探し当てる宝探しのような時間も、古着でストリートを辿る醍醐味でした。

さらに、古着で選ぶことには、文化的な必然もあります。ストリートウェアがもともと大量消費の論理の外で価値をつくってきたことを思えば、すでにある一着を見つけて長く着るという行為は、その精神とよく響き合います。新品を追いかけるだけがストリートではありません。誰かが着てきた一着を引き継ぎ、自分の文脈で着こなす。その目利きと再解釈の楽しみこそ、裏原宿の世代が大切にしてきたものでもありました。

バンドのツアーTや、年代物のスポーツスウェット、古いワークウェアなど、ストリートと地続きの一枚まで含めて探すと、楽しみはさらに広がります。これらは厳密にはストリートウェアのブランド品ではありませんが、機能や現場から生まれたという出自を共有しており、ストリートの文脈にすんなりなじみます。状態を選ぶときは、プリントのひび割れや生地の薄さ、首まわりのよれが、味として許せる範囲かを見極めると、長く付き合えます。古着のストリートウェアでは、多少の使用感はむしろ本物の証として歓迎されることも多く、その懐の深さも魅力のひとつでした。

ストリートはどこへ

路上から生まれたストリートウェアは、いまや高級ブランドとコラボレーションし、世界の流行の中心に立っています。かつてハーレムの Dapper Dan が、高級ブランドに認められなかったヒップホップのアーティストたちのために、ブランドの素材を大胆に仕立て直した服を作ったように、ストリートと高級の境界は、長い時間をかけて溶け合ってきました。当時は無断使用とされた彼の仕事が、のちに高級ブランド自身から敬意を払われるようになったことは、この半世紀の力関係の変化を象徴しています。下から生まれた文化が、上の世界を変えていったのです。ストリートのデザイナーが高級ブランドの指揮を任される時代になったことも、その延長線上にあります。

この流れには、光と影の両面があります。文化が広く認められ、敬意を払われるようになった一方で、希少性を煽る転売や、文脈を切り離した記号としての消費も生まれました。だからこそ、ストリートウェアを文化として理解することの意味が、いまあらためて問われています。

けれども、どれほど大きくなっても、ストリートウェアの核心は変わりません。完成された洗練ではなく、未完成の現場感。与えられた価値ではなく、自分たちで作る価値。仲間とのつながり。その精神は、サーフボードの手書きサインから始まった半世紀前と、いまも変わらず地続きです。流行として消費するのではなく、背後にある文化として味わう。そう考えると、一枚のTシャツやスウェットの選び方が変わってきます。転売価格で話題の一枚を追いかけるより、自分が本当に共感する文化の一着を、古着の棚から見つけ出す。そのほうが、ストリートウェアの精神にはずっと近いのかもしれません。古着屋で見つけた一着のなかに、街が育てた半世紀の物語が宿っている。その物語ごと纏うことが、ストリートウェアを着るということなのかもしれません。

編集方針について — この記事は GUZ FASHION 編集部のFASHIONカテゴリの編集方針に沿って制作されています。

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