WTAPS(ダブルタップス)は、デザイナーの西山徹が1996年に東京で立ち上げた日本のファッションブランドです。軍服やワークウェアの語彙を、東京の現代的なストリートの文脈へ翻訳し続けてきた点に、その独自性があります。単に軍モノを真似るのではなく、軍服のディテールがなぜそのかたちなのかを理解したうえで、日常で着られる服へと組み直す。その姿勢が、三十年近くにわたってブランドの核であり続けてきました。
「WTAPS とはどんなブランドか」を一言で言えば、ミリタリーの機能美を、思想とともに現代のストリートへ受け継いできたハウスです。ブランド名のWTAPSは「ダブルタップス」と読み、Wはダブルを、TAPSは同じ標的へ二発を続けて撃ち込む射撃技術を指します。西山にとってWTAPSが二番目のブランドであること、そして彼のミリタリーへの傾倒を、名前そのものが二重に表しています。一発目にあたるのが、後で触れる前身のレーベルFPARです。
本記事では、西山徹の歩みと前身FPARから、WTAPSの創業、ヴァンズとの協業による国際的な認知、そして渋谷の拠点づくりまでを年代で追ったうえで、設計思想、デザイナー像、代表的なアイテム、日本の縫製技術との結びつきを順にたどります。
「ものをあるべき場所に置く」— WTAPS の設計思想
WTAPS の哲学を一言で要約するなら、西山徹自身が語ってきた「ものをあるべき場所に置く」という言葉に行き着きます。これは軍服の単なる複製ではなく、軍服がなぜそのディテールを持つのかを理解したうえで、現代のストリートへ翻訳するという方向性を示しています。すべての要素には理由があり、その理由を踏まえて配置し直すという考え方です。
WTAPS のシャツのポケットの位置、ジャケットの裾の長さ、トラウザーのカーゴポケットの配置。そのどれもが、軍服のもとの設計を踏まえつつ、日常生活で着られるように微調整されています。解体して再構成するのではなく、機能美をそのまま継承したうえで現代的に更新する。その手つきが、WTAPS の服を一目で見分ける手がかりになります。
色の基調は、オリーブドラブやブラック、カモフラージュ、リップストップといった軍用テキスタイルの語彙が中心です。これは創業時から一貫した方針で、あらゆる色を使うのではなく、限られた色を完璧に使いこなすという志向の表れだと言えます。抑制された色のなかで、素材とディテールの差で違いを生み出していくのが、WTAPS の流儀です。
加えてWTAPS のものづくりは、日本国内の縫製の質に強くこだわることでも知られてきました。コットンのリップストップ、サテンウェザー、テクニカルなナイロンなど、それぞれの素材を扱いこなせる日本の工場との長年の取引が、ディテールの精度を支えています。ミリタリーという無骨な題材を扱いながら、仕上がりは緻密。その落差こそが、WTAPS の服の見どころです。
西山徹の軍服へのまなざしには、コレクター的な深さがあります。実物のミリタリーウェアを丹念に観察し、ポケットの数や縫い方、生地の織り、留め具の選び方といった一つ一つに、それが戦地や任務でどう機能したのかという理由を読み取っていきます。その理解を踏まえたうえで、不要な要素をそぎ落とし、日常に必要な要素だけを残して再構成する。だからWTAPSの服は、軍モノ風の見た目だけを借りた服とは、根本的なつくりが異なります。表面のスタイルではなく、設計の論理ごと受け継いでいる点に、このブランドの誠実さがあります。
「WTAPS とはどんなブランドか」を一言で言えば、ミリタリーの機能美を、思想とともに現代のストリートへ受け継いできたハウスです。
創業から現在まで — 年代でたどる歴史
修業期(1990年〜1995年)— 原宿シーンとFPAR
西山徹は東京で生まれ育ちました。一九九〇年代初頭、後に日本のストリートカルチャーを定義する世代が集った原宿のシーンに、彼も身を置いていました。藤原ヒロシや滝沢伸介、NIGOといった面々と同じ場所に立っていた一人です。
一九九二年ごろ、西山はSK8thingらと一緒にスクリーンプリントのTシャツを作り、仲間内で配り始めます。商業的なブランドというより、コミュニティのなかでの自家製の活動でしたが、これが後のものづくりの土台になりました。そして一九九三年、西山は最初のレーベルFPAR(Forty Percents Against Rights)を立ち上げます。マスメディアが作り出す情報をかき乱すというミッションを掲げ、反逆的でグラフィック中心のシルクスクリーンを通じて、既存の権威への異議を表現するレーベルでした。WTAPS以前の西山の出発点が、この政治的でアナーキーなFPARにあったことは、彼を理解するうえで欠かせません。
創業期(1996年〜2000年)— WTAPS の始動
FPARでの活動を経て、西山はより服づくりに軸足を置いたブランドへと向かいます。そして一九九六年、WTAPSを東京で創業しました。同じ時期には滝沢伸介がNEIGHBORHOODを立ち上げており、近い世代の作り手たちが互いに刺激を与え合いながら、WTAPSの創業期を支えました。
初期のコレクションは、機能的なバックパックやブーニーハット、カーゴパンツ、フィールドジャケットなど、軍用の素材とかたちを軸にしたものでした。オリーブドラブやカモフラージュ、リップストップを基調とするその方向性は、当時の原宿のストリートシーンのなかでも際立っていました。軍服をまとうことが、ストリートカルチャーへ参加する一つの記号になっていったのです。
一九九〇年代後半には、吉田カバンのPorterやA BATHING APE、シュプリームといったブランドとの初期の協業も生まれます。いずれも後にストリートウェアの主要な担い手になっていくブランドで、まだ業界の中心に立つ前の段階から並走する関係を築いたことが、後の国際展開の基礎になりました。
創業期のWTAPSが提示したのは、軍服を着るという行為に意味を持たせる新しい記号でした。当時のストリートには、スポーツやスケート、音楽といったさまざまな文脈の服が混在していましたが、WTAPSは軍服という一つの語彙を深く掘り下げることで、独自の立ち位置を確保します。だれもが知る軍モノを、なぜそのかたちなのかという理解とともに着る。その知的な遊びが、感度の高い層を惹きつけました。流行のかたちを次々と追うのではなく、一つの主題を掘り続けるという姿勢は、このときすでにブランドの背骨として定まっていたのです。
グローバル展開期(2001年〜2010年)— ヴァンズとの協業
二〇〇〇年代に入ると、WTAPS は海外市場での認知を一気に広げます。アメリカやヨーロッパ、アジア各国のセレクトショップがWTAPSを扱い始め、とりわけ二〇〇六年から続くヴァンズとの協業が、国際的なブランドの認知を加速させました。
ヴァンズの別注ラインとの協業は、スケートシューズとミリタリーを掛け合わせるという新しい領域を生みました。ヴァンズの主要なシルエットが、WTAPSの手で軍用素材やカモフラージュへと組み直されていきます。この時期のWTAPSは、日本発のストリートブランドが世界へ広がっていく成功例の一つとして、業界の参照点になりました。A BATHING APEの同時期の海外展開と並んで、日本のストリートウェアが国境を越えた事例として記憶されています。
このヴァンズとの協業が長く続いてきたこと自体に、WTAPSらしさが表れています。一度きりの話題づくりではなく、十数シーズンにわたって関係を更新し続けるという姿勢は、流行を追って相手を次々と変えるやり方とは対照的です。一つの相手と腰を据えて取り組み、毎回少しずつ解釈を深めていく。この継続性が、コラボレーションを単なる商品の組み合わせではなく、二つのブランドの対話へと育ててきました。海外のファンにとって、ヴァンズとの協業はWTAPSを知る入口になり、そこからブランドの本流であるミリタリーウェアへと関心を広げていく流れも生まれました。
拠点づくりと成熟期(2011年〜2010年代)
二〇一一年、西山徹はWTAPSの旗艦店「GIP Store」を渋谷に構えました。これは単に商品を売る店を超えて、西山のクリエイティブを集約する場として設計された空間です。WTAPSやFPAR、関連するアイテムを扱う本拠地であり、内装から音楽の選定まで、彼の世界観が反映されています。商品を売る場所から、カルチャーそのものを体現する場所へ。WTAPSはこの拠点を得たことで、ブランドの輪郭をより明確にしていきました。
二〇一〇年代を通じて、WTAPS はミリタリーをテーマにした複数のシリーズと、ベーシックなラインを並行して展開し、シーズンごとに数十のアイテムを送り出す規模へと成長します。Highsnobiety や Hypebeast、END.といった主要なメディアやリテーラーが継続的にWTAPSを取り上げ、シュプリームやステューシーといった世界的なストリートブランドと並んで論じられる存在になりました。同じ時期にはFPARのオンラインストアも開かれ、西山はWTAPSとFPARという二つのレーベルの並行展開を本格化させていきます。
現在(2020年〜)
二〇二〇年代に入っても、WTAPS は安定したペースでコレクションを発表し続けています。ヴァンズとの長年にわたる協業や、Porterとの継続的な取り組みは、創業時から一貫した方向性の延長線上にあります。西山徹は表立った発言を抑えながら、ブランドの方向性を静かに進化させ続けてきました。ブランドを大きくすること以上に、自分の興味の延長で作品を作り続けたいという姿勢を、インタビューでも繰り返し語っています。
渋谷のGIP Storeは今も街に立ち、世界中のWTAPSファンが東京を訪れる際に足を運ぶ場所になっています。三十年近くを経た今も、西山徹のミリタリーへの愛着は更新され続けてきました。海外のメディアでは、WTAPSをストリートとミリタリーをもっとも完成度高く結びつけた日本のブランドとして位置づける評価が定着し、東京発のメンズウェアのなかで長く評価を保つ稀有な存在として語られてきました。
デザイナー — 西山徹(TET)という存在
西山徹(創業者)
西山徹は、表立った発言が極めて少ないデザイナーとして知られます。インタビューに応じる際も、作品と方法論で語るというスタイルを徹底し、メディアへの露出を最小限に抑えてきました。個人のSNSアカウントを持たず、WTAPSとFPARの公式の発信のみを通じて言葉を届けるという姿勢を、三十年以上にわたって保ち続けてきました。服そのものに語らせるという態度が、ブランドの謎めいた魅力にもつながってきました。多くを語らないからこそ、一着のディテールに込められた意図を読み解こうとする楽しみが、ファンのあいだで共有されてきたのです。
「ものをあるべき場所に置く」「ブランドの大きさよりも自分の興味の追求を優先する」「軍服には人間の生活が刻まれている」。複数のインタビューで繰り返されてきたこうした言葉は、WTAPSのコレクションを貫く設計の原則そのものです。修辞ではなく、実際の服の構造に反映されている思想だからこそ、彼の言葉はブランドを読み解く補助線になります。
FPAR との二重展開
西山徹のクリエイティブを理解するには、WTAPSだけでなくFPARもあわせて見る必要があります。一九九三年に始まったFPARは、反逆的で政治的な、グラフィック中心のアプローチを取るレーベルです。一方のWTAPSは、機能的で素材を重んじ、着られることを大切にするブランドです。攻撃的なメッセージと、緻密な機能美。この相反する二つが補い合って、西山徹という作り手の全体像をかたちづくっています。GIP Storeが両ブランドを同じ場所で扱うのは、この二重性を空間として体現するためでもあります。
同時代の作り手たち
西山徹は、滝沢伸介や藤原ヒロシ、NIGO、高橋盾、中村ヒロキ、SK8thingといった、一九九〇年代の原宿のストリートシーンを定義した世代の中核に位置しています。それぞれが個別の道を歩みながらも、互いに影響を与え合い、独立性を保ってきました。この作り手たちの厚みが、日本のストリートカルチャーが世界で評価される土台になったと言えます。
とりわけ、NEIGHBORHOODの滝沢伸介との関係は近く、ともに同じ時期に自身のブランドを立ち上げた盟友です。ミリタリーを軸とするWTAPSと、バイカーやワークウェアを軸とするNEIGHBORHOODは、方向性こそ異なりますが、本物の道具や服を深く理解したうえで再構成するという姿勢を共有しています。こうした作り手同士が刺激を与え合いながら、それぞれの世界を磨いていったことが、裏原宿と呼ばれた時代の豊かさでした。WTAPSの歩みは、一人の天才の物語であると同時に、同時代の作り手たちが築いた厚い土壌の上に立つ物語でもあるのです。
代表的なアイテム
WTAPS のアイテムは、ブランドの思想がそのまま形になったものばかりです。ここでは、ブランドを象徴する代表的なものを順に見ていきます。
ジャングルシャツ
WTAPSをもっとも広く知らしめたのが、ジャングルシャツと呼ばれるミリタリーシャツです。フロントに四つの大型ポケットを備えたボタンアップのシャツで、軍の戦闘服の語彙をWTAPS流に組み直した代表作です。コットンのリップストップやサテンウェザー、テクニカルな素材など、シーズンごとに素材を変えながら作り続けられてきた、ブランドの背骨にあたるアイテムです。古着や中古で探す場合も、ポケットの配置や素材の質感が、WTAPSらしさを見分ける手がかりになります。
カーゴパンツ
オリーブやベージュのコットンリップストップで作られるカーゴパンツも、WTAPSを語るうえで外せません。軍のジャングルファティーグを現代的に解釈したもので、サイドのポケットにはブランドらしいディテールが配されます。ジャングルシャツと組み合わせて着るのが、WTAPSファンの定番のスタイルです。無骨な軍パンツでありながら、街でも穿けるバランスに整えられている点が特徴です。太すぎず細すぎないシルエットの調整や、ポケットの位置と大きさの按配に、軍服を日常へ翻訳するというブランドの手つきがよく表れています。一本で着こなしに重心を与えてくれる、頼れる定番だと言えます。
ミリタリージャケット
フィールドジャケットやミリタリーアウターも、WTAPSの機能美がもっともよく表れる領域です。軍用アウターのもとの設計を踏まえつつ、丈やポケットの配置を日常向けに微調整したジャケットは、シーズンを越えて着られる普遍性を持っています。装飾を足すのではなく、軍服が本来持つ機能をそのまま意匠として見せるという、ブランドの姿勢が凝縮されたアイテムです。
軍用アウターには、もともと過酷な環境で身を守るための工夫が詰まっています。風や雨を防ぐ襟の作り、荷物を分散して持つためのポケット配置、動きを妨げない身頃のゆとり。WTAPSはそうした機能の理由を尊重しながら、現代の街で着たときに重すぎない量感へと整えていきます。だからWTAPSのジャケットは、軍モノらしい頼もしさを残しつつ、普段の装いにも自然になじみます。一着で着こなしに芯が通るような存在感が、長く支持されてきた理由です。中古で選ぶ際は、生地の質感とポケットの作り込みに目を向けると、ブランドらしさを読み取りやすくなります。
キャップとヘッドウェア
ブーニーハットやキャップといったヘッドウェアも、創業期から続くWTAPSの定番です。軍用の帽子をベースにしながら、ブランドのロゴやディテールを効かせたこれらの小物は、コーディネートに軍の語彙を一点加える存在として手に取りやすく、ブランドへの入口にもなっています。
日本の縫製技術との結びつき
WTAPS を論じるうえで欠かせないのが、日本国内の縫製技術との深い結びつきです。ミリタリーという題材は無骨に見えますが、軍服のディテールを正確に再現し、なおかつ日常で着られるように仕立てるには、高い縫製の精度が求められます。コットンのリップストップやテクニカルな素材を扱いこなせる国内の工場との長年の取引が、WTAPSのディテールの正確さを裏側から支えてきました。
西山徹が軍服の機能美を継承するという姿勢を貫けたのも、それを形にできる日本のものづくりの土壌があったからです。素材の選定から縫製の仕様まで、作る現場と密に向き合うことで、WTAPSは無骨さと緻密さを両立させてきました。ストリートウェアという領域でありながら、仕立ての質で語れるブランドであることが、海外で長く評価されてきた理由の一つです。日本の縫製業の技術が、東京発のストリートウェアを世界に通用する水準へ押し上げてきた事例として、記録しておくべき関係だと言えます。
海外での評価
WTAPS は、日本発のブランドでありながら、二〇〇〇年代以降、海外で確固たる評価を築いてきました。ヴァンズとの長年の協業を通じて国際的な認知を広げ、主要なメディアやセレクトショップが継続的に取り上げる存在になっています。シュプリームやステューシーといった世界的なストリートブランドと並んで論じられることも多く、ストリートとミリタリーを結びつけた日本のブランドの代表格として位置づけられてきました。
派手な広告で名を広めたのではなく、軍服への深い理解と、それを形にする縫製の質によって評価を積み上げてきた点に、WTAPSの歩みの一貫性があります。西山徹が言葉を多く発しないぶん、服そのものが雄弁にブランドを物語ってきたとも言えます。一過性の話題ではなく、毎シーズン地道に積み重ねてきた信頼が、国境を越えた評価へと静かに結実してきたのです。
アーカイブ市場での価値
WTAPS は、古着や中古の市場でも独自の地位を持っています。ジャングルシャツをはじめとする定番のアイテムは、シーズンごとに素材や仕様が少しずつ異なるため、過去のシーズンのものを探すコレクター的な楽しみがあります。流行に左右されない軍服由来の普遍的なかたちは、年を経ても古びにくく、中古でも着続けられる強さを持っています。
中古でWTAPSを選ぶ際は、ポケットの配置や素材の質感、そして縫製の仕上がりに目を向けると、ブランドらしさを読み取りやすくなります。ヴァンズとの協業のシューズなど、コラボレーションのアイテムも中古市場で根強く探されており、WTAPSを長く着てきた層が、この市場を静かに支えてきました。
まとめ — 軍服の文化を、ストリートへ受け継ぐ
WTAPS は、西山徹が1996年に東京で立ち上げ、軍服とワークウェアの語彙を現代のストリートへ翻訳し続けてきたブランドです。前身のFPARで培った反骨の精神と、軍服の機能美への深い理解、そして日本の縫製技術。これらが重なり合って、ブランドの揺るがない個性をかたちづくってきました。「ものをあるべき場所に置く」という一本の軸が、創業以来ずっと貫かれてきました。
ブランドを選ぶ視点で見れば、WTAPS は「機能と背景に物語を求める人」に向いた存在です。軍服のディテールには理由があり、その理由を踏まえて作られた服は、流行が過ぎても古びにくく、長く着るほどに背景の文脈が深みを増します。古着や中古でWTAPSに出会うことは、西山徹が三十年近くかけて磨いてきた、軍服文化の継承に触れることでもあります。気になるアイテムがあれば、まずは下記から探してみてください。











