サカイ(sacai)は、デザイナーの阿部千登勢が1999年に東京で立ち上げた日本のファッションブランドです。一着の服のなかに、性格の異なる二つの服を共存させる。その独自の仕立てによって、日本発のブランドでありながら世界の第一線で評価される存在になりました。
「サカイとはどんなブランドか」を一言で言えば、異なる服の語彙を一着のなかで掛け合わせる、ハイブリッドの美学を確立した作り手です。テーラードジャケットの背面にMA-1の袖を接ぎ、ウールのコートの裾にナイロンのダウンを組み込み、ニットの途中からシャツを生やす。別々の服に属していたはずの要素が、一着のなかで自然に同居している。その違和感のない接合こそが、阿部千登勢が四半世紀をかけて磨いてきた手つきです。
本記事では、阿部千登勢の歩みをワールドからコムデギャルソン、ジュンヤ ワタナベの現場まで年代で追ったうえで、1999年の創業とブランド名にまつわる逸話、パリと世界への広がり、ナイキとの長期にわたる共作、そして代表的なアイテムの見方と中古で探すときの視点まで、順にたどっていきます。夫の阿部潤一が営むkolorとの綴りの逸話も、後ほど紹介します。
一着のなかに、二つの服を — サカイの設計思想
サカイの服づくりを一言で要約するなら、阿部千登勢自身が掲げてきた「日常の上に成り立つデザイン」という言葉に行き着きます。奇抜さのための奇抜さではなく、毎日着られる服であることを前提にしながら、そこに二つの異なる服の語彙を共存させる。その両立が、ブランドの核にあり続けてきました。
象徴的なのが、しばしば「二重構造」や「ハイブリッド」と呼ばれる仕立てです。テーラードジャケットの背中側にボンバージャケットの袖と裾を接ぎ合わせる、トレンチコートの下半分にダウンの量感を組み込む、上品なニットの途中からポプリンのシャツが現れる。前から見ると端正なジャケットなのに、後ろや横から見ると別の服の表情が立ち上がる。一着で二つの服を着ているような奥行きが生まれます。
この手法は、ばらばらの服を切り貼りした思いつきではありません。阿部はパタンナーとしての確かな技術を土台に、二つの型紙を一つの身頃のなかで成立させる構造を緻密に設計しています。だからサカイの服は、見た目の意外性に反して着心地が破綻せず、日常の動作にきちんと馴染みます。構造の難しさを表に出さず、あくまで着られる服として仕上げる。その抑制が、ブランドの品の良さを支えています。
着る人にとって、この二重構造は単なる珍しさ以上の意味を持ちます。一枚で何通りもの表情を見せる服は、それ自体で着姿が決まるため、難しい組み合わせを考えなくても様になります。日々の装いに無理なく取り入れられて、それでいて人と同じにはならない。その実用性と個性の両立こそが、サカイが世代や性別を超えて長く支持されてきた理由です。
色づかいや素材の選び方にも、同じ思想が通っています。フォーマルな生地とスポーツの素材、ハードな表情と柔らかな表情を、一着のなかで対比させながら組み合わせる。相反する要素をぶつけることで、どちらか一方だけでは出せない緊張感と豊かさが生まれます。異なるものを掛け合わせて新しい一着をつくるという姿勢は、後に語る数々の共作にもそのまま受け継がれていきました。
サカイの服づくりを一言で要約するなら、阿部千登勢自身が掲げてきた「日常の上に成り立つデザイン」という言葉に行き着きます。
阿部千登勢の歩み — ワールドからコムデギャルソンへ
岐阜から東京へ、服づくりの出発点
阿部千登勢は1965年11月9日、岐阜県に生まれました。衣料品の店で働く母のもとで育ち、幼い頃から服に親しみ、早くからデザイナーを志したと伝えられています。地元から通える名古屋の服飾の専門学校で服づくりの基礎を学んだのち、上京して大手アパレルの株式会社ワールドに新卒で入社しました。
ワールドでの勤務は2年ほどでしたが、量産の現場で服が企画から店頭まで届く流れを内側から知った経験は、後に独立して自分のブランドを営むうえでの土台になりました。服を「作品」としてだけでなく「商品」として成立させる感覚を、この時期に身につけたと言えます。
コムデギャルソンとジュンヤ ワタナベの現場で
1989年、阿部はかねて憧れていたコムデギャルソンに転職します。川久保玲が率いる前衛的なブランドの現場で、阿部が任されたのはパタンナーの仕事でした。デザイン画を立体の服へと翻訳する型紙づくりは、構造の理解がそのまま服の出来を左右する領域です。ここで培った型紙の技術が、のちにサカイの二重構造を支える根幹になりました。
1992年、阿部はジュンヤ ワタナベの立ち上げに参加します。コムデギャルソンの傘下で渡辺淳弥が自身のラインを始めるにあたり、その中核のスタッフの一人として抜擢されたのです。渡辺淳弥もまた、既存の服を解体して再構成する独自の手法で知られる作り手でした。素材と構造の実験を厭わないその現場で働いた数年間が、阿部の発想に与えた影響は小さくありません。ここで重要なのは、阿部と渡辺淳弥の関係はあくまで仕事上の師弟と同僚の関係だったという点です。一部で夫婦のように語られることがありますが、それは事実ではありません。阿部の夫については、後ほど創業の章で正しく紹介します。
パタンナーとして第一線の現場を経験した阿部は、1997年にコムデギャルソンを退社します。結婚と、第一子の出産が重なった時期でした。いったんは服づくりの現場を離れ、子育てと家事に専念する生活に入ります。しかし、その静かな日々のなかで、ふたたび自分の手で服をつくりたいという思いが膨らんでいきました。
1999年、自宅から始まったサカイ
育児の合間に創作意欲を取り戻していった阿部の背中を押したのは、夫の阿部潤一でした。阿部潤一は、後に自身のブランドkolor(カラー)を立ち上げることになるデザイナーです。彼もまたコムデギャルソンで経験を積んだ作り手であり、妻の才能を誰よりも理解する存在でした。資本も後ろ盾もないなかで、夫の勧めを受けた阿部は、自宅を舞台にした小さな展示会という形で一歩を踏み出します。
1999年、阿部千登勢はサカイを創業しました。最初に世に問うたのは、自らの手で編んだわずか数型のニットだったと伝えられています。潤沢な資金を背景に華々しく登場したわけではなく、家庭と両立できる範囲で、本当に作りたい服だけを少しずつ形にする。その慎ましい出発が、かえってブランドの芯の強さにつながりました。誰かに急かされて数を増やした服ではなく、自分が確かに良いと思える一着から始めたからこそ、サカイの服には作り手の意思がまっすぐ宿っています。
ブランド名の「sacai」は、阿部の旧姓である「坂井(Sakai)」に由来します。あえてすべて小文字で表記する控えめな佇まいには、自分を大きく見せようとしない阿部の姿勢がうかがえます。そしてこの綴りには、もう一つの小さな物語があります。夫の阿部潤一のブランドは「kolor」と綴られ、サカイの「c」とカラーの「k」は、互いの綴りをそっと入れ替えたような関係にあります。デザイナーとして別々の道を歩みながら、同じ時代に独立し、互いの仕事を心から尊重し合う。そんな夫婦のありようが、二つのブランド名の綴りに静かに刻まれています。互いを認め合う二人の関係そのものを、サカイという名前は静かに映し出します。
創業から最初の十年ほどは、東京を拠点に自分の世界観をじっくり育てる時期でした。国内ではビームスやユナイテッドアローズ、トゥモローランドといったセレクトショップでの取り扱いが中心で、まだ世界の業界誌を賑わせる存在ではありません。けれども、この地道な十年があったからこそ、二重構造という独自の言語を試行錯誤のなかで確立できました。流行に乗って急いで大きくなる道を選ばず、足元から方法論を磨いた歳月が、後の飛躍を支える助走になったのです。
パリ、そして世界へ — メンズラインと受賞
国内で着実に評価を積み重ねた阿部は、2009年にメンズラインを始動させ、活動の場を海外へと広げていきます。レディースで培った二重構造の発想は、ミリタリーやワークウェアといった男性服の語彙とも相性が良く、メンズの展開はブランドの表現の幅を一段と押し広げました。やがてサカイはパリのコレクションで本格的に発表を行うようになり、2011年頃にはパリのランウェイで作品を披露する存在として国際的に認知されていきます。
パリでの発表を重ねるなかで、サカイの服はヨーロッパとアジアの専門家から「日本人デザイナーが提示する新しい仕立ての考え方」として受け止められるようになりました。端正なテーラリングとスポーツやアウトドアの要素を一着に同居させる手法は、ジェンダーや既存のカテゴリーの境界をやわらかく越えていくものとして支持を集めます。世界の主要都市の高感度なセレクトショップが取り扱いを広げ、ブランドは小さなアトリエの規模から国際的な存在へと成長しました。
とりわけ、シーズンごとのランウェイで見せる構築的なコートやドレスは、業界の写真家や編集者がこぞって取り上げる見どころになりました。ひと目でサカイとわかる存在感がありながら、その服が実際に日常で着られるものであり続けた点が、話題で終わらず店頭での支持にも結びついた理由です。発表のたびに更新される驚きと、変わらない着やすさ。その両輪が、ブランドの評価を一過性で終わらせませんでした。
国内外での評価は、具体的な実績にも表れています。阿部は日本を代表するファッションの賞である毎日ファッション大賞を複数回にわたって受賞し、2015年にはグランプリに輝きました。2013年以降は、世界のファッション業界で影響力のある人物を選ぶビジネス・オブ・ファッションの「BoF500」にも名を連ねています。日本のメディアの枠を超えて、世界の業界が阿部千登勢の仕事を継続的に注視してきたことの証だと言えます。
その評価を象徴する出来事が、フランスの名門ジャン・ポール・ゴルチエからの招聘でした。ゴルチエが自身のオートクチュールにゲストデザイナーを迎える取り組みを始めるにあたり、その初回の起用者として2020年に阿部千登勢が選ばれたのです。新型コロナウイルスの影響で延期を経たのち、2021年にそのコレクションが発表されました。フランスを代表するクチュールの舞台に、日本のブランドの作り手が最初の客演として立つ。この抜擢は、阿部の構築的なデザインが、既製服の枠を超えてクチュールの文脈でも通用すると認められたことを意味します。
ナイキとの共作と、「共作の名手」としての地位
サカイを商業的にも文化的にも一段上の知名度へ押し上げたのが、アメリカのナイキ(Nike)との長期にわたる共作です。最初の協業は2015年にさかのぼり、ナイキの実験的なラインを通じて、エア マックス 90 やダンクといった名作の靴に阿部の感覚が落とし込まれました。この時点では、まだ一過性の話題という受け止めも少なくありませんでした。
潮目が変わったのは2018年です。ナイキの古い名作を二つ掛け合わせたシューズが、その年のパリのランウェイで披露され、大きな反響を呼びました。なかでも翌年に発売されたエルディー ワッフル(LDWaffle)は、ナイキのLDVとワッフル レーサーという二つのシルエットを一足のなかで接合した一足で、阿部の二重構造の発想をそのまま靴へ翻訳した作品として、世界中のスニーカー愛好家を熱狂させます。服でやってきたことを足元でも成立させてみせたこの靴は、ブランドの代名詞の一つになりました。
その後も2020年前後のヴェイパー ワッフル、2021年のブレーザー ロー、2022年のコルテッツ4.0と、名作の二重構造版が続けて発表され、ナイキとサカイの共作は単発の企画ではなく、何年もかけて関係を深める継続的な対話へと育っていきました。一度きりの話題づくりで終わらせず、毎回少しずつ解釈を更新していく粘り強さは、創業以来の阿部の姿勢とも重なります。
共作の相手はナイキにとどまりません。アウトドアのザ・ノース・フェイス、ディオール、現代美術家のカウズ(KAWS)、ワークウェアのカーハート、藤原ヒロシのフラグメント デザインなど、領域の異なる作り手や企業との協業を重ねてきました。性格の違う相手の語彙を、自らの二重構造の発想と接合して新しい一着をつくる。その手腕によって、阿部千登勢は「共作の名手」と呼ばれる独自の地位を築きました。異なるものを掛け合わせるという設計思想が、ブランドの服づくりだけでなく、外部との関係の結び方にまで一貫している点に、サカイらしさが表れています。
代表的なアイテムの見方
サカイのアイテムは、二重構造という思想がそのまま形になったものばかりです。ここでは、ブランドを象徴する代表的な領域を順に見ていきます。中古や古着で出会ったときに、それがサカイらしい一着かどうかを見分ける手がかりにもなります。
二重構造のジャケットとブルゾン
ブランドの核を最もよく表すのが、テーラードジャケットにMA-1ブルゾンやミリタリーアウターを接合したジャケット類です。なかでも、MA-1のリブや光沢のあるナイロンを端正なテーラードに掛け合わせた一着は、サカイを象徴する造形として知られています。選ぶときは、素材の切り替え位置と後ろ姿のボリュームに目を向けると、阿部の設計の意図が読み取れます。着こなしでは、これ一着が主役になるため、インナーとボトムをシンプルにまとめると構造の妙がいっそう際立ちます。
コートとアウター
トレンチやチェスターといったクラシックなコートの構造に、ダウンやナイロンの要素を組み込んだアウターも、サカイを語るうえで欠かせません。きちんとしたコートの佇まいを保ちながら、機能的な素材を裾や身頃に取り込むことで、一枚で着姿に奥行きが生まれます。フォーマルとカジュアルの中間を一着で成立させたい人にとって、頼れる存在です。
ニットとプリーツ
ニットのトップスやプリーツのスカートも、サカイの語彙を代表するアイテムです。なめらかなニットの途中からシャツの裾が現れたり、プリーツの動きに異素材が掛け合わされたりと、一見ベーシックな服のなかに必ずひとひねりが効いています。日常に取り入れやすく、それでいてサカイらしさがしっかり宿る点で、ブランドへの入口としても選ばれてきました。
ナイキとの共作シューズ
エルディー ワッフルやヴェイパー ワッフルをはじめとするナイキとの共作シューズは、二重構造の発想を足元で体現した代表作です。二つの名作のシルエットを一足のなかで接合した構造は、服のサカイと地続きの考え方でできています。中古市場でも活発に探されている領域で、限定色や発売年によって人気の幅が大きいのが特徴です。
バッグと小物
サカイは服だけでなく、バッグや小物の領域でも独自の存在感を放ってきました。異素材を組み合わせた構築的なバッグや、コレクションの世界観を凝縮した小物は、コーディネートに一点加えるだけでサカイらしい奥行きを足してくれます。価格的にも手に取りやすいものが多く、本格的な一着に進む前の入口として選ばれてきました。日常使いのなかにブランドの感覚をそっと忍ばせたい人にも向いています。
中古・古着でサカイを探すときの視点
サカイは、中古や古着の市場で安定した人気を保っているブランドです。とりわけ二重構造のジャケットやコート、ナイキとの共作シューズは、発売時にすぐ完売したものが多く、中古が事実上の主戦場になっている品も少なくありません。シーズンごとに素材や配色が入れ替わるため、もう手に入らない過去の一着を探すコレクター的な楽しみがあり、定番のかたちでありながら一点ずつ表情が異なるのも、サカイを中古で選ぶ醍醐味です。
選ぶときにまず確かめたいのが、二重構造の接合部です。異なる生地を一着のなかで縫い合わせている以上、切り替えの縫い目やドッキング部分にほつれや歪みがないかが、状態を見極める鍵になります。前から見て端正でも、裏側や裾の構造が崩れていては魅力が半減してしまいます。逆に、その複雑な作りがきれいに保たれた一着なら、長く着るに値します。ナイキとの共作シューズを狙うなら、模倣品が多く出回っている点に注意が必要です。どのシーズンのどのモデル・配色かを把握したうえで、箱やタグ、ソールの仕上げまで含めて慎重に見極めると安心です。
価格帯はアイテムと希少性で大きく開きます。本流のジャケットやコートは中位の帯で活発に動き、ナイキの共作シューズは配色やシーズン次第で、手頃なものから定価を大きく上回るものまで分かれます。流通の場は、フリマアプリや中古の専門店に加え、原宿や渋谷、青山といったエリアの古着店まで幅広く、根気よく探せば状態の良い一着に出会えます。相場は出品状況で動くので、あくまで目安と捉え、購入時点で確認してください。気になるアイテムがあれば、下記の各モールからまとめて探してみてください。
サカイが日本のファッションにもたらしたもの
サカイの歩みは、一人のデザイナーの成功譚にとどまりません。資本も後ろ盾もない状態から、自宅の小さな展示会を起点に世界の第一線へと届いた阿部千登勢の道のりは、日本のデザイナーが国際的に評価される道筋のひとつを描いてみせました。型紙の技術という地に足のついた土台を持ち、流行を追うのではなく自分の方法論を磨き続けた先に、世界からの評価が後からついてきた。その順序にこそ、サカイの強さが表れています。
数々の共作を通じて、阿部は日本の作り手が世界の大きなブランドと対等に組む姿を具体的に示してきました。相手の名前に寄りかかるのではなく、自らの二重構造という発想を持ち込むことで、どの協業にもサカイの刻印がはっきり残ります。受け身ではなく、対話の相手として一流と向き合う。その姿勢は、後に続く日本のデザイナーにとっての参照点になってきました。海外のメディアが阿部千登勢を「次世代の日本を率いる作り手」として繰り返し取り上げてきたのも、こうした実績の積み重ねがあるからです。
同じ時代に独立した夫の阿部潤一が営むkolorとともに、二人の作り手が互いの領域を尊重しながら別々のブランドを育ててきたことも、日本のものづくりの豊かさを物語る一例だと言えます。綴りを入れ替えた二つのブランド名は、その関係をささやかに、しかし確かに記録しています。
まとめ — 異なるものを掛け合わせる、四半世紀の手つき
サカイは、阿部千登勢が1999年に東京で立ち上げ、一着のなかに二つの服を共存させる二重構造の発想で世界の第一線に立った日本のブランドです。岐阜に生まれ、コムデギャルソンとジュンヤ ワタナベの現場でパタンナーとしての技術を磨き、結婚と出産を経て自宅から再出発した阿部の歩みは、地道に方法論を積み上げてきた職人の物語でもあります。夫の阿部潤一が営むkolorとの綴りの逸話は、独立した二人の作り手が互いを尊重し合う関係を静かに物語っています。
サカイの一着は、一枚で二つの服を着ているような奥行きを与えてくれます。前と後ろ、上と下で表情が変わる構造は、シンプルな合わせでも着姿を決めてくれるため、毎日の装いを底上げする頼もしさがあります。ナイキやディオールとの数々の共作も、その根っこにあるのは服づくりと同じ「異なるものを掛け合わせる」という一本の思想です。古着や中古でサカイに出会うことは、阿部千登勢が四半世紀かけて磨いてきたその手つきに、自分の手で触れることでもあります。下記の各モールから、気になる一着を探してみてください。










