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イッセイミヤケ(Issey Miyake)— 三宅一生の「一枚の布」が更新した、布と身体の関係

イッセイミヤケ(Issey Miyake)— 三宅一生の「一枚の布」が更新した、布と身体の関係

イッセイミヤケ(Issey Miyake)は、デザイナーの三宅一生が1970年に東京で設立した三宅デザイン事務所を母体とする、日本を代表するファッションブランドです。一枚の布と身体の関係をゼロから問い直すという独自の発想によって、欧米が築いてきた服づくりの常識を内側から塗り替え、日本のデザイナーが世界の第一線に立つ道を切り開きました。

「イッセイミヤケとはどんなブランドか」を一言で言えば、布と技術の探究から服のあり方そのものを更新し続けてきた、研究するブランドです。三宅一生が掲げた「一枚の布」という考え方は、やがて永久プリーツのプリーツ・プリーズや、一本の糸から服を生み出すエイポックといった革新的な技術へと結実しました。創業者の三宅は2022年に世を去りましたが、その思想は複数のラインと後進のデザイナーへと受け継がれ、今も更新され続けています。

本記事では、三宅一生が広島からパリ、ニューヨークを経て東京で歩み始めた道のりを年代でたどったうえで、設計思想としての「一枚の布」、プリーツ・プリーズとエイポックという二つの技術、バオバオをはじめとする日常への広がり、創業者を継ぐ人々、そしてファッションを超えた文化への貢献までを順に見ていきます。代表的なアイテムの見方と、中古で探すときの視点もあわせて紹介します。

「一枚の布」— 三宅一生が問い続けた布と身体の関係

イッセイミヤケの服づくりの根幹には、三宅一生が生涯をかけて問い続けた「一枚の布」という考え方があります。欧米の伝統的な服づくりが、身体を覆うために複雑な型紙を切り、立体的に縫い合わせていくのに対して、三宅は「一枚の布をどう身体に絡ませるか」という問いから服を構想しました。布を裁つ前に、まず布そのものを見つめ直し、繊維と身体の関係を考えるという発想は、当時の服飾の世界ではきわめて異例のものでした。

この姿勢は、服を完成形として固定するのではなく、着る人の動きや身体とともに変化していくものとして捉える態度につながります。平面である布と、立体である身体。その間に生まれる関係そのものをデザインの対象にした点に、三宅の独創がありました。型紙の精緻さを競うのではなく、布と人との根本的な関わり方を問い直す。その問いが、後年の数々の技術的な発明を生む土壌になりました。

もう一つ見逃せないのが、技術と素材への飽くなき探究です。三宅は職人や技術者とともに、新しい繊維や製法の開発に長い時間をかけて取り組みました。日本の繊維産業が培ってきた高度な技術を土台にしながら、機械でしか実現できない表現と、手仕事でしか出せない繊細さの両方を追い求めたのです。美しさと機能、伝統と最新技術を対立させず、一着のなかで結び合わせる。その総合的なものづくりが、ブランドを単なる衣服の枠を超えた存在にしてきました。

三宅一生がたびたび口にしたのは、服は完成した瞬間がゴールではなく、人が着て動き、暮らしのなかで生きてはじめて意味を持つという考え方でした。だからこそ、見る人を驚かせるためだけの装飾や、一度きりの話題づくりのための奇抜さを、三宅は注意深く避けてきました。布の可能性を引き出し、着る人の身体を自由にする。その一点に向けて、素材の研究から縫製の工夫までを地道に積み重ねていく姿勢が、長い年月をかけてブランドへの深い信頼を育ててきました。流行の波に乗って装いを次々と変えるのではなく、着る人の暮らしに寄り添う服であろうとする態度が、世代を超えて支持される土台になっています。

イッセイミヤケの服づくりの根幹には、三宅一生が生涯をかけて問い続けた「一枚の布」という考え方があります。

三宅一生の歩み — 広島からパリ、ニューヨーク、そして東京へ

広島に生まれ、デザインを志す

三宅一生は1938年4月22日、広島県広島市に生まれました。1945年、7歳のときに広島で被爆するという、言葉にしがたい経験を背負っています。三宅は生涯にわたってこの体験を公の場で語ることを慎重に避けてきましたが、晩年に記した数少ない文章のなかで、破壊ではなく創造することを選びたいという思いを綴りました。失われたものを悼むのではなく、人を喜ばせ、希望をもたらすものをつくりたい。その静かな決意が、後の服づくりの根底に流れています。

多摩美術大学の図案科でグラフィックデザインを学んだ三宅は、平面のデザインから出発しました。やがて関心は、人が身にまとい、ともに動く立体としての衣服へと向かいます。デザインを学んだ出発点がグラフィックだったことは、布という平面から服を考える後年の発想とも、どこかで響き合っていたのかもしれません。平面と立体、デザインと身体。一見遠く見える二つの領域を若い頃から行き来した経験が、のちに誰も思いつかなかった服のかたちを生む力になりました。

パリとニューヨークで学んだ年月

1965年、三宅はパリへ渡ります。オートクチュールの組合が運営する学校で学んだのち、1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、続いてジバンシィのもとで完成した服を絵に起こす仕事に就きました。ヨーロッパの高級服づくりの現場を内側から経験したことは、後に三宅が既存の枠組みを問い直すうえでの確かな足場になりました。

1969年には活動の場をニューヨークへ移し、ジェフリー・ビーンのもとで働きます。ここで三宅が吸収したのは、装飾よりも機能を重んじるアメリカ的な合理性でした。パリの伝統とニューヨークの実用主義。この二つを若い時期に体験したことが、伝統と革新を一着のなかで結ぶという三宅独自のバランス感覚を育てました。若くして異なる文化のものづくりに身を置いた歳月が、どの国の流儀にも染まりきらない独自の視点を三宅に授けたのです。

1970年、東京で始まった三宅デザイン事務所

1970年、三宅は日本に戻り、東京で三宅デザイン事務所を設立します。翌年にはニューヨークで、1973年にはパリのコレクションで発表を行い、日本のデザイナーとして世界の舞台に立ちました。欧米の服づくりの中心地で学んだ経験を携えながら、あえて日本を拠点に、日本の素材と技術を土台にした服を世界へ問うていく。その立ち位置そのものが、後に続く日本のデザイナーたちへの道しるべとなりました。

三宅一生は2022年8月5日、肝臓がんのため84歳でこの世を去りました。半世紀以上にわたって服づくりの最前線に立ち続け、最後まで研究の手を緩めなかったその生涯は、一人のデザイナーの枠を超えて、ものづくりそのものへの探究の記録でもあります。

革新を生んだ技術 — プリーツ・プリーズとエイポック

三宅一生の「一枚の布」という思想は、二つの画期的な技術として具体的なかたちを得ました。プリーツ・プリーズと、エイポックです。どちらも、服づくりの常識的な順序そのものを問い直すところから生まれました。

1993年に発表されたプリーツ・プリーズ イッセイミヤケは、半永久的なプリーツを備えた服です。一般的にはプリーツを施した生地を裁断して縫い上げますが、三宅はこの順序を逆さまにしました。まず服のかたちに大きめに裁断・縫製し、それを紙に挟んで熱でプレスすることで、プリーツを布に定着させるのです。こうして生まれた服は、軽くてシワになりにくく、家庭で洗えて旅行にも携えやすいという機能を備えています。美しさと日常の使いやすさを両立させたこのラインは、世界中の都市に暮らす人々の日常着として広く支持されました。

もう一つの革新が、1998年ごろに本格化したエイポックです。エイポックは「A Piece of Cloth(一枚の布)」を意味し、テキスタイルの技術者である藤原大とともに長い時間をかけて開発されました。一本の糸が機械によって筒状の布へと編み上げられ、その布から着る人が必要な部分を切り出して服にするという、無駄を出さない画期的な仕組みです。布から服へという工程を一続きの流れに変えたこの試みは、三宅の「一枚の布」の思想を、最新の技術によって極限まで突き詰めたものだと言えます。

エイポックが投げかけたのは、服がどのようにつくられ、その過程でどれだけのものが捨てられているのかという問いでもありました。布を裁って端切れを捨てるのではなく、必要な分だけを生み出すという発想は、後の持続可能なものづくりの議論を先取りするものでした。華々しい商業的成功というより、服づくりの未来へ向けた実験として、エイポックは今も国内外の研究者やデザイナーに参照され続けています。近年では宮前義之が率いる「エイポック エイブル イッセイミヤケ」として、この一枚の布の発想が新しいかたちで受け継がれています。一着の服の向こうに、ものづくりのあり方そのものを見据えていた点に、三宅の視野の広さがうかがえます。

プリーツの考え方は、紳士服にも展開されました。2013年に登場したオム プリッセ イッセイミヤケは、プリーツの機能美を男性の日常着へ翻訳したラインです。軽く、動きやすく、手入れがしやすいという特長は、出張や旅行の多い現代の暮らしと相性が良く、性別や世代を超えて新たな層をブランドへと引き寄せました。

日常へ、世界へ — バオバオと広がるライン

三宅一生のものづくりは、衣服だけにとどまりませんでした。2010年に独立したラインとして始まったバオバオ イッセイミヤケは、三角形の小さなピースを組み合わせた、幾何学的で構築的なバッグです。持つものの中身や角度によって形が自在に変化するこのバッグは、機能とデザインを両立させた発明として世界中で愛され、ブランドを象徴する存在の一つになりました。

香りの領域でも、1992年に発表されたロードゥ イッセイが世界的な成功を収めました。澄んだ水を思わせるみずみずしい香りは、当時の香水の流行とは一線を画し、長く支持される定番となっています。衣服から鞄、香りへと広がっていったその展開は、暮らし全体を心地よく整えたいという三宅の思想の延長線上にありました。

イッセイミヤケは、性格の異なる複数のラインを束ねるブランドへと育っていきました。プリーツ・プリーズ、バオバオ、オム プリッセに加え、より親しみやすい価格帯のミー イッセイミヤケ、折り紙のように平面から立体へと立ち上がる持続可能なライン132 5. イッセイミヤケなど、それぞれが三宅の発想の異なる側面を引き受けています。一つの名のもとに多様な表現が共存する構造そのものが、研究するブランドとしての懐の深さを物語っています。

こうした広がりは、単なる商品ラインの拡大ではありません。装いから持ち物、香りに至るまで、暮らしのあらゆる場面に心地よさと美意識を行き渡らせたいという、三宅の一貫した思想の表れだと言えます。一着の服を入口にして、生活そのものを少し豊かにする。その視点が、ブランドを世代や国境を越えて愛される存在にしてきました。世界の主要都市に店を構え、各地の美術館が三宅の仕事を回顧展として取り上げてきたことも、その評価の広さを物語ります。

三宅一生を継ぐ人々

三宅一生は1990年代の半ばごろから、主要なラインの日常的なデザインを後進に委ね、自らはエイポックやのちのリアリティ・ラボといった研究的な取り組みに軸足を移していきました。創業者が現場を離れてもブランドが進化を続けられるよう、次の世代へと丁寧に橋を架けていったのです。

主要ラインのデザインを引き継いだのは、滝沢直己でした。その後、エイポックの開発をともにした藤原大がクリエイティブの舵を取り、続いて宮前義之が女性向けラインの中心を担います。そして2019年からは近藤悟史がアーティスティック・ディレクターを務め、ブランドに新しい息吹を吹き込んでいます。近藤はプリーツ・プリーズのデザインチームで長く経験を積んだ人物で、創業者の思想を受け継ぎながら、現代の感性で更新を続けています。

三宅が後半生で力を注いだリアリティ・ラボは、まさにこの継承の思想を体現する研究の場でした。折り紙の構造から服を立ち上げる132 5. イッセイミヤケのような試みは、若い世代の技術者やデザイナーとの協働から生まれています。創業者が一人で完成形をつくり上げるのではなく、考え方を共有する集団として未来へ手渡していく。その仕組みづくりこそ、三宅が遺したもう一つの大きな仕事だったと言えます。

世代を超えて受け継がれてきたのは、特定のかたちやロゴではなく、「布と身体の関係を問い直す」という姿勢そのものです。だからこそブランドは、創業者を失ってもなお、その核を保ったまま新しい表現を生み出し続けることができました。一人の才能に依存するのではなく、考え方を継承する仕組みを築いた点に、このブランドの確かな強さがあります。

ファッションを超えて — 文化への貢献

三宅一生の仕事は、服飾の領域だけで語り尽くせるものではありません。2010年には、ファッションデザイナーとして文化勲章を受章しました。プリーツや先端的なテキスタイルの開発を通じて、日本のものづくりの技術を世界的な現代性へと結びつけた功績が評価された結果です。

2007年には、東京・六本木に21_21 デザインサイトという施設の設立に携わりました。デザインを学び、考え、共有するための場として構想されたこの施設は、衣服にとどまらず、デザインそのものの価値を社会に問い続ける拠点になっています。三宅にとってデザインとは、商品をつくる行為であると同時に、人々の暮らしや文化を豊かにする営みでもありました。

象徴的な逸話として、アップルの創業者スティーブ・ジョブズが愛用した黒のタートルネックを三宅が手がけたことも知られています。毎日同じ服を選ぶというジョブズの考え方に応えてつくられたその一着は、機能性と思想を兼ね備えた服という、三宅のものづくりの本質をよく表しています。装飾ではなく、暮らしの道具として服を捉える。その視点が、領域を越えて多くの人々に影響を与えてきました。

三宅一生は、建築家やプロダクトデザイナー、写真家、振付家など、分野を越えた作り手たちと積極的に協働してきたことでも知られます。異なる領域の視点を取り込みながら、服を社会や文化のなかに位置づけ直す。その姿勢は、ファッションを孤立した流行の世界から解き放ち、より大きなものづくりの文脈へと開いていきました。三宅にとってデザインとは、人と人、過去と未来をつなぐ営みでもあったのです。受け継がれているのは技術だけでなく、こうした開かれた態度そのものだと言えます。

代表的なアイテムの見方

イッセイミヤケのアイテムは、ブランドの思想と技術がそのまま形になったものばかりです。ここでは、代表的な領域を順に見ていきます。中古や古着で出会ったときに、それがイッセイミヤケらしい一着かどうかを見分ける手がかりにもなります。

プリーツ・プリーズ

ブランドを最も広く知らしめたのが、プリーツ・プリーズの服です。軽くてシワになりにくく、畳んでも型崩れしないプリーツは、日常の使いやすさとデザイン性を兼ね備えています。トップスやスカート、ワンピースなど幅広い形で展開されており、年齢や体型を選ばず着られる点も支持の理由です。服のかたちに縫ってから熱でプリーツを定着させるため、もとの生地は完成形のおよそ二倍以上に大きく裁たれているのも、この製法ならではの特徴です。中古で選ぶ際は、プリーツの密度と発色、そして畳んだときの戻りの良さを見ると、状態の良し悪しを読み取りやすくなります。

オム プリッセ イッセイミヤケ

プリーツの考え方を紳士服に翻訳したオム プリッセは、近年とくに人気を集めている領域です。軽く、動きやすく、手入れが簡単という特長は、現代の暮らしに自然になじみます。セットアップで着ても、一点だけ取り入れても様になるため、ブランドへの入口としても選ばれています。

バオバオ イッセイミヤケ

三角形のピースが光を受けて表情を変えるバオバオのバッグは、ブランドを象徴する小物です。中身や持ち方によって形が変わる構造は、機能とデザインが一体になった発明として広く知られています。中古市場でも活発に取引されており、色や型によって人気の幅が大きいのが特徴です。

ミー イッセイミヤケと132 5.

より親しみやすい価格帯のミー イッセイミヤケや、132 5. イッセイミヤケも、ブランドの発想を日常に届ける存在です。とくに132 5.は、一枚の布を折り紙のように畳むと平面の幾何学形になり、広げると立体の服へと立ち上がる、リアリティ・ラボの研究から生まれたラインです。再生ポリエステルを用いた持続可能なものづくりとしても知られ、三宅の「一枚の布」の思想を、より手に取りやすい価格と形で体験できるのが魅力です。日々の装いにブランドの感覚をさりげなく取り入れたい人に向いています。

中古・古着でイッセイミヤケを探すときの視点

イッセイミヤケは、中古や古着の市場でも確かな存在感を持っています。プリーツ・プリーズやオム プリッセの定番から、コレクター心をくすぐる過去のランウェイのアーカイブ、実用とデザインを兼ねたバオバオまで、ラインごとに性格も相場も大きく異なります。日常着を探しているのか、希少な一点を狙っているのかを意識して選ぶと、満足のいく出会いに近づきます。技術と思想に裏づけられた服は流行に左右されにくく、年を経ても古びにくい点も、このブランドを中古で選ぶ安心材料です。

選ぶときにまず目を向けたいのが、プリーツの状態です。プリーツは半永久的とはいえ、保管の仕方によって戻りや発色に差が出るため、畳みじわが残っていないか、山がへたっていないかが状態を見極める鍵になります。バオバオを狙うなら、三角ピースの欠けや角の擦れ、金具のゆるみを確認すると安心です。とりわけ藤原大と手がけたエイポックや初期のコレクションは流通量が少なく、現行品にはない素材や構造が用いられているため、見つけたときが手に入れどきだと言えます。フリマアプリや中古の専門店、ブランド古着を扱う店舗まで、流通の場は幅広く整っています。

価格帯は、ラインと状態によって大きく開きがあります。プリーツ・プリーズやオム プリッセの定番は比較的手に取りやすい帯で流通し、希少なアーカイブや人気のバオバオは高い帯で取引される傾向があります。相場は出品状況によって変動するため、あくまで目安として捉え、購入時点で実際の価格を確認することをおすすめします。気になるアイテムがあれば、下記の各モールでまとめて検索してみてください。

まとめ — 一枚の布から、ものづくりの未来へ

イッセイミヤケは、三宅一生が「一枚の布」という問いから出発し、布と身体の関係を問い直すことで世界の服づくりを更新してきた日本のブランドです。広島に生まれ、パリとニューヨークで学び、東京を拠点に世界へ問いを投げかけた三宅の歩みは、日本のデザイナーが国際的に評価される道を切り開いた歴史そのものでもあります。プリーツ・プリーズやエイポックといった技術は、美しさと機能、伝統と革新を一着のなかで結び合わせるという三宅の思想を、確かなかたちで示してきました。

イッセイミヤケの服は、軽くて手入れがしやすく、畳んで旅にも連れていける——その実用性のなかに、布と身体をめぐる長年の探究が静かに畳み込まれています。プリーツ・プリーズの一枚でも、エイポックの思想でも、実際に触れてみればものづくりへの真摯さが伝わってきます。創業者を失った今も、ブランドは「布と身体の関係を問う」という核を保ったまま歩み続けています。古着や中古でイッセイミヤケに出会うことは、三宅一生が積み上げてきた探究の蓄積に触れることでもあります。下記の各モールから、気になる一着を探してみてください。

編集方針について — この記事は GUZ FASHION 編集部のDOMESTIC BRANDカテゴリの編集方針に沿って制作されています。

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