PERFUME

Mona di Orio — パリ発・印象派絵画のような幻想的ニッチ

Mona di Orio — パリ発・印象派絵画のような幻想的ニッチ

Mona di Orio(モナ・ディ・オリオ)の香りに最初に触れた瞬間、頭に浮かぶのはオランジュリー美術館で見たモネの睡蓮でした。輪郭は柔らかく溶け、光が水面に乱反射し、隣り合う色彩がせめぎ合いながら一枚の風景を結ぶ。原料の輪郭を細い線で描き分けるのではなく、油彩のようにレイヤーを重ね、距離を置いて眺めたときに立ち現れる印象——彼女の香水が「印象派絵画のよう」と評されるのは、こうした作家性ゆえです。パリで生まれ、20 世紀フランス香水黄金期の巨匠 Edmond Roudnitska に師事し、2011 年に 42 歳で早逝した調香師。本記事では、彼女のキャリアと代表作 Les Nombres d’Or、Initial Collection、そして光と影で構築された香り設計、没後のブランド継続体制までを編集部視点で読み解きます。

Mona di Orio の経歴 — Edmond Roudnitska の弟子という出発点

Mona di Orio は 1969 年パリ生まれ。父はジャズ・ピアニスト、母は画家という芸術一家で育ち、幼少期からアートと音楽に囲まれた環境が、後年の感覚的な香り設計に大きく影響したと本人がインタビューで語っています。10 代後半に香りの世界へ進む決意を固め、20 歳で南仏グラース近郊にある Edmond Roudnitska のアトリエ「Art et Parfum」の門を叩きました。

Edmond Roudnitska は Diorissimo(1956)、Diorella(1972)、Eau Sauvage(1966)など 20 世紀香水史を語るうえで欠かせない作品を残した調香師であり、後進への教育には極めて慎重なことで知られていました。アトリエに置く弟子は同時に一人だけ、というスタイルを長年貫いていたことも知られ、Mona di Orio はその数少ない例外として迎え入れられた最後期の弟子のひとりに位置付けられます。彼女は弟子入りから 10 年近くを師の側で過ごし、原料の選定、ブロッターでの嗅ぎ分け、抽象的なイメージを処方箋に落とし込むまでの全工程を、徒弟制度に近い形で学んだとされています。Roudnitska が 1996 年に亡くなった後も、彼女は師の遺した処方研究を継続し、香水を「商業製品」ではなく「作家性のある作品」として扱う姿勢を一貫させました。

2004 年、彼女は Maison Mona di Orio をパリで設立。Carnation、Nuit Noire、Lux などの初期作品でニッチ業界の批評家から注目を集めます。なかでも 2006 年発表の Nuit Noire は、チュベローズと動物的なシヴェットを織り交ぜた重厚な構築で、当時のフルーティ・フローラル全盛のメインストリームとは一線を画す存在として記憶されました。彼女は調香だけでなく、ボトルデザイン、コピーライティング、ブランド世界観の構築すべてに関与し、Maison Mona di Orio を「個人ブランド」として育てていきます。所属メゾンに調香師として雇われるのではなく、自分自身の名前を冠したメゾンを起ち上げてから本格デビューする、という流れは当時としては大胆な選択でした。詳しいニッチブランドの系譜は L’Artisan Parfumeur ブランドガイド でも比較できます。

師の Roudnitska は「香水は時間芸術であり、構造と均衡を学ばなければ成立しない」という思想を一貫して語っていました。Mona di Orio がのちに発表する作品群でも、時間軸に沿った変化と素材同士の均衡が処方の中核に据えられている点は、師から受け継いだ最大の遺産と言えます。一方で彼女は、師の処方思想をそのままなぞるのではなく、印象派絵画から得た「輪郭のぼかし」を加えることで自分の作家性を確立しました。

彼女は調香だけでなく、ボトルデザイン、コピーライティング、ブランド世界観の構築すべてに関与し、Maison Mona di Orio を「個人ブランド」として育てていきます。

Les Nombres d’Or コレクション — 6 つの古典素材を黄金比で再構築

2010 年から本格的に展開された Les Nombres d’Or(レ・ノンブル・ドール、「黄金比」)は、Mona di Orio の代表作群です。コレクション名の Nombres d’Or は数学・建築・美術で語られる黄金比(1:1.618…)を指し、古典香水で繰り返し使われてきた素材を黄金比的な配合で再構築する、というコンセプトで貫かれています。各作品はチュベローズ、バニラ、ムスク、キュイール(レザー)、ベチバー、サンダル、ローズなど一つの素材をテーマに据え、その素材の多面性を絵画的に描き出します。

Tubereuse は、白い花の中でもとくに官能的とされるチュベローズを主役に据えた一作。緑のトップから始まり、中盤でクリーミーな白花の核が立ち上がり、ラストはマグノリアとシヴェットが余韻を引きます。Fracas のような重厚な白花一辺倒ではなく、緑と動物的な影を意図的に挟むことで、印象派絵画の光と影のような立体感が生まれています。

Vanille は、いわゆるグルマン系の甘いバニラとは対照的に、マダガスカル産バニラ・ブルボンとラム酒、樹脂、革のニュアンスを重ねたダーク・バニラ。アンバー寄りの土台にスモーキーな余韻が漂い、夜の図書館のような知的な雰囲気を持ちます。バニラ素材の系譜については アイリス香水の深掘り と並べて読むと、ニッチ香水における「単一素材の作家性」の幅が見えてきます。

Musc は、合成ムスクの透明感と動物的なシヴェットを意図的にぶつけた一作。クリーンなホワイトムスクが主流の現代香水市場において、肌のぬくもりや体温に近い「人間の匂い」を再構築しようとする試みで、批評家の評価が分かれた問題作でもあります。

Cuir は、ビルチ・タール、シナモン、サフラン、イモーテルを骨格に据えたレザー香水。Knize Ten や Cuir de Russie のクラシック・レザーを参照しつつ、スパイスと樹脂で温度感を上げ、夜の革張りソファのような落ち着いた重みに仕上がっています。コレクションは他にも Vetyver、Oiselets de Chypre、Ambre、Rose Etoile de Hollande と続き、それぞれが古典香水の系譜を彼女自身の解釈で書き直していく形式です。

Les Nombres d’Or 全体に共通するのは、トップでいきなり主役素材を提示せず、緑や柑橘、樹脂などの「前奏」を挟んでから核に到達する構成です。一般的なフレグランスがコマーシャル的に「最初の数秒で香りの方向性を示す」設計になっているのに対し、彼女のコレクションはじっくり時間をかけて素材の中心に降りていくため、テスター段階での評価が割れやすい傾向もあります。逆に言えば、肌に乗せて 30 分から 1 時間後の表情こそが本領で、ニッチ香水を時間芸術として味わいたい人にこそ向くシリーズです。

Initial Collection — Lux と Oud が示す原点回帰

Initial Collection は、Maison Mona di Orio 設立初期の作品群を再編集したラインで、2010 年代以降にパッケージとボトルを刷新した上で再販されています。代表作は Lux と Oud。前者は 2006 年に発表された創業期の象徴作、後者は中東素材へのオマージュとして 2011 年に発表された後期作品です。

Lux は、ベルガモット、レモン、ネロリ、リトセア・キュベバといった柑橘・グリーン系のトップが極めて明るく立ち上がり、中盤からアイリス、サンダルウッド、アンバーが穏やかな影として広がります。コロン構造の透明感とオリエンタル系の重みを橋渡しした稀有な処方で、「コロン以上、香水未満」の独特の濃度を保ち続けます。シグネチャー候補を探している人は シグネチャーセント選び方ガイド もあわせて読むと、Lux のような汎用性の高い一本が位置付けやすくなります。

Oud は、ラオス産オウド精油を中核に据えつつ、ローズ、サフラン、アンバー、ベンゾインを重ねた中東インスパイアの一作。同時期のメインストリームで流行していた「クリーンなウード」とは異なり、革と樹脂と土を感じさせる骨太な処方で、Mona di Orio 自身が「ヨーロッパの調香師が中東素材を扱う際の敬意の払い方」を提示しようとしたと述べていました。彼女の遺作の一つでもあり、ブランドの転換点を示す作品としても重要です。Initial Collection に並ぶ他作品(Carnation、Nuit Noire、Jabu など)と比較すると、Lux と Oud は対照的な位置に置かれており、前者が光、後者が影を担うペアとして読み解くこともできます。

印象派的な香り設計 — 光と影、輪郭のぼかし方

Mona di Orio の処方を分析するうえで欠かせない視点が「光と影の対比」です。一般的な香水は、ピラミッド構造(トップ・ミドル・ラスト)を前提に、各段階で主役となる素材を明確に切り替えていきます。しかし彼女の作品では、トップに官能的な動物素材を忍ばせたり、ベースに柑橘の残響を響かせたりと、時間軸に沿った素材の役割を意図的にずらす処方が目立ちます。

たとえば Carnation では、トップのスパイスにすでにアンバーの重みが顔をのぞかせ、ラストの樹脂層にもクローブの輪郭が残ります。Nuit Noire では、チュベローズの白さに対して常にシヴェットの黒い影が寄り添い、香りの遠近感を生む。これは印象派絵画の「光の中に影が混じり、影の中に光が混じる」筆致と通底する設計思想です。

もう一つの特徴が、合成素材と天然素材の意図的な対比です。彼女は天然原料原理主義者ではなく、Iso E Super、Galaxolide などのモダンな合成ムスクを積極的に使う一方、天然のチュベローズ・アブソリュート、ラブダナム、サンダルウッドを骨格に据え、両者の質感差を「絵筆のタッチ」のように活用しました。結果として、彼女の作品はクラシック香水の重厚さとモダン・ニッチの透明感を同居させる稀有なバランスを獲得しています。

没後のブランド継続 — Jeroen Oude Sogtoen の継承

2011 年 12 月 6 日、Mona di Orio はオランダ・アムステルダム滞在中に 42 歳で急逝しました。死因はクラシカル医療ミスとされ、ニッチ香水界に大きな衝撃を与えています。当時、Maison Mona di Orio のビジネスパートナーであり、ブランド設立期から運営面を支えてきた Jeroen Oude Sogtoen が、彼女の遺した処方ノートとサンプル群を引き継ぐ形でブランドを継続することを決意します。

Jeroen Oude Sogtoen は彼女の死後、未発表だった処方を Initial Collection や Les Nombres d’Or の補完作として段階的にリリースし、ブランドの世界観を保ったまま新作を加えてきました。Oud(2011)、Violette Fumee(2014)、Bohea Boheme(2014)などは彼女の遺した処方ノートを基に、信頼する調香チームが完成させた作品とされています。Mona di Orio 本人が単独で手掛けたオリジナル作と、遺稿ベースの作品が混在する点はコレクター視点では把握しておきたい事実です。

編集部の見立て

Mona di Orio は、商業的成功よりも作家性を優先したニッチブランドの典型例です。Edmond Roudnitska の弟子として古典香水の文法を体に刻みつつ、印象派絵画のような輪郭のぼかし方を独自に開発した点で、Serge Lutens や Frederic Malle と並び称される存在になり得たはずでした。42 歳での早逝はあまりにも惜しく、もし存命であれば現在のニッチ業界はかなり違った景色になっていたかもしれません。

編集部としては、最初の一本に Lux または Vanille を推します。Lux は彼女の処方思想を凝縮した汎用性の高い一作で、季節とシーンを選ばず使える点が魅力です。Vanille はダーク系バニラに興味がある人にとって、市場に出回るグルマン系バニラとの違いを最も鋭く感じられる入口になります。チュベローズに耐性がある人は Tubereuse、レザー好きは Cuir、中東素材に踏み込むなら Oud——コレクション全体が「素材ごとの作家性」を比較できる教材として機能する稀有なブランドです。

編集方針について — この記事は GUZ FASHION 編集部のPERFUMEカテゴリの編集方針に沿って制作されています。

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