Naomi Goodsir(ナオミ・グッドサー)は、オーストラリア出身の女性帽子デザイナーが立ち上げた、フランス拠点のニッチフレグランスブランドだ。香水業界の出身者ではない人物が、自身の美意識をそのまま瓶に閉じ込めるために動き出した稀有な事例で、2012年のデビュー以降、コレクションの本数は控えめながら、いずれも個性がはっきりしている。革と煙、樹脂と灰、蜂蜜と土。ジャンルの中心線を外したところに座標を置くため、量販店の棚に並ぶことはまずなく、専門店やオンラインの一部でひっそり扱われる種類のブランドだ。本稿では経歴・哲学・代表作・後期作・ボトル意匠・編集部の見立てを通して、Naomi Goodsirがなぜ一部の香水愛好家に長く支持されているのかを整理していく。
Naomi Goodsir の経歴 — 帽子デザイナーから香水へ
Naomi Goodsir はオーストラリア・シドニー出身。出自は香水ではなく、ミリナリー(帽子製作)とアクセサリーデザインだ。1990年代から自身の名前を冠したミリナリーラインを展開し、ハイファッションの撮影や舞台、コレクションで使われるオブジェのような帽子を手がけてきた。素材の使い方が独特で、フェルトや羽根、麦わらに加え、漆や金属、樹脂、革を平気で組み合わせる。帽子という器に、彫刻と工芸の文脈を流し込むタイプの作り手で、メルボルンの国立美術館をはじめ、いくつかのミュージアムが作品を所蔵している。
のちにパートナーである Renaud Coutaudier とともに、生活と仕事の拠点をフランス・ボルドー近郊へ移す。ボルドーといえばワインの聖地で、樽材としてのオーク、地下セラーの湿気と微生物、葡萄と蜜蝋。香水ブランドを後年立ち上げる作り手にとって、これ以上ない素材環境が日常側に揃っていた。Naomi Goodsir が香水に踏み出したきっかけは、自身の帽子作品にまとわせたかった「匂いの記憶」を、市販の香水で代用できなかったことだと、各種インタビューで語られている。革を扱う工房の空気、湿った土、燻された木。それらを言葉ではなく嗅覚で再現する手段として、香水という器を選んだわけだ。
2012年、最初のコレクションを正式にリリース。Or du Sérail と Cuir Velours の2作で船出した。流通量はごく限定的で、フランスの一部セレクトショップ、ベルギーやドイツのニッチ専門店、日本でも特定のバイヤーが個別に取り扱う形で広がった。マーケティング的に派手な仕掛けはほぼ無く、ブランドサイトもごく簡素。ファッションデザイナーがふらりと香水を出すと、しばしばライセンス委託の量産品になりがちだが、Naomi Goodsir は反対側に振り切れた。少量生産・少品目・長期育成。帽子作りで培われた手仕事の感覚が、そのままブランド運営にも持ち込まれている。L’Artisan Parfumeur のような老舗ニッチとも、ラグジュアリーメゾン系のニッチとも違う、極小工房側の立ち位置で評価が固まっていったブランドだ。
Naomi Goodsir が香水に踏み出したきっかけは、自身の帽子作品にまとわせたかった「匂いの記憶」を、市販の香水で代用できなかったことだと、各種インタビューで語られている。
ブランドの哲学 — 共調香師 Bertrand Duchaufour と Isabelle Doyen
Naomi Goodsir の香りの輪郭を決定づけている存在が、共調香師として並走する Bertrand Duchaufour と Isabelle Doyen だ。Duchaufour は L’Artisan Parfumeur 時代の Timbuktu や Dzongkha などで知られ、土・煙・樹脂・乾いた木を主役に据えた組み立てが得意な調香師。一方の Doyen は Annick Goutal の代表作群を長年支えてきた人物で、繊細で透明感のある花や、独特の質感のある皮膚っぽさを扱わせると随一とされる。性質の異なる二人が、同じブランドの中に対照的なフレーバーを共存させていることが、Naomi Goodsir のカタログを単調にしない理由になっている。
哲学として明文化されているのは「香水を物語と素材の交差点に置く」という方向性だ。Naomi Goodsir 本人が帽子作りで使ってきた素材 — 革、麻、樹脂、ワックス、煙でいぶされた繊維 — を、嗅覚版の素材として再構成する。たとえば革のノートひとつ取っても、現代的なクリーンレザーではなく、油と汗と古い工房の湿気を含んだ革を狙う。煙も、人工的に作り込まれたウッディアコードではなく、燃焼の段階差(着火・燻し・燃え尽き)まで描こうとする。結果として、香りの線が太く、輪郭がはっきりと残る作品が多い。
もう一つの特徴は、ジェンダーレスを最初から前提にしている点だ。男性向け・女性向けというカテゴリ分けは商品ページにも書かれず、ターゲット像も曖昧なまま流通している。これは Naomi Goodsir 本人がミリナリーで「身につける人の性別ではなく、その人の輪郭を変えるためのオブジェ」を作ってきた延長線上にある考え方だろう。シグネチャーセント選びの考え方とも親和性が高く、定番ジェンダーフレグランスの枠の外で個性を探したい層にハマりやすい。市場ノイズを最小限にし、香りの輪郭で勝負するという、ニッチブランドの王道スタンスを最初から崩していない。
代表作 — Or du Sérail / Cuir Velours / Bois d’Ascèse
カタログの中核を成すのが初期3作。いずれも調香師 Bertrand Duchaufour による仕事で、ブランドの初期評価を決定づけた。
Or du Sérail(オル・デュ・セライユ)は、トルコや北アフリカのハーレム(セライユ)を想起させるオリエンタル系。タバコリーフ、ハニー、ジャスミン、ガルバナム、シナモンが層を成し、序盤はミントのような清涼感、中盤で蜂蜜と煙草の甘く重い質感、終盤でほのかにアーシーな樹脂が残る。タバコ系の香水は世の中に多いが、Or du Sérail の特徴は、煙草葉そのものよりも「煙草を吸う人がいる部屋の空気」を描こうとしているところにある。蜜と汗と布製品が混ざった、人の生活感のある甘さだ。
Cuir Velours(キュイール・ヴルール)は名前の通りヴェルベットのような触感の革。ラブダナム、ベンゾイン、サフラン、ラム、イモーテルが組み合わさり、革のノートに濃厚な甘さと琥珀色の温度を与える。一般的なレザーフレグランスはバーチタールやイソブチルキノリンで攻めることが多いが、Cuir Velours はそれよりも甘い樹脂側に寄って、革ジャケットというより「上質な革張りの椅子」に近い質感を出す。秋冬向けのコンフォート系として支持が厚い。
Bois d’Ascèse(ボワ・ダセーズ)は、苦行(ascèse)という名前のとおり、修道院や山小屋の暖炉を思わせる燻製系。ウイスキー、ラブダナム、シスタス、シダーウッド、煙の混合で、序盤からほぼ煙一色。スモーキーフレグランスの代表格として、しばしば Comme des Garçons Black や Sonoma Scent Studio Fireside Intense と並べて語られる。Bois d’Ascèse の独自性は、煙の中に蒸留酒の発酵感を入れてくる点で、単なる焚き火ではなく「人が煙を扱っている現場」のニュアンスが残る。
後期作 — Iris Cendré / Nuit de Bakelite
初期3作の路線に対し、後期作はテクスチャーと素材感をさらに先鋭化させてくる。
Iris Cendré(イリス・サンドレ)は Julien Rasquinet による作で、タイトル直訳が「灰のアイリス」。アイリスは香水素材として高価で扱いが難しく、典型的にはパウダリーでひんやりとしたバターのような質感が出る。Iris Cendré は、その繊細なアイリスに焚き火後の灰やインセンス、樹脂を被せて、土気色のテクスチャーを際立たせていく。アイリスフレグランス全般の探求と合わせて読むと、Naomi Goodsir 版アイリスがいかに「身ぎれいなアイリス」から距離を取っているかが見えてくる。粉ではなく粉塵に近い質感で、装着の難易度はやや高め。
Nuit de Bakelite(ニュイ・ド・バケライト)は Isabelle Doyen の手によるもので、ブランドのカタログの中でも異色の存在だ。Bakelite(ベークライト)は20世紀初頭に普及した最初期の合成樹脂で、独特の樹脂臭と古い電話機やラジオの匂いを連想させる工業素材。ここに、グリーンで毒っぽい質感のチューベローズと、苦みのあるアルテミシアを組み合わせ、花でありながら金属樹脂的という奇妙な存在を作り出している。チューベローズの典型である濃厚な甘さや艶やかさを徹底的に削り、骨組みだけ残したような骨太な構造で、フローラルなのに重金属を扱っている感触が残る。賛否がはっきり分かれる作品で、Nuit de Bakelite が好きと言えるかどうかで、その人のニッチ耐性が測れるとさえ言われる。一部のフレグランスアワードでもニッチ部門でノミネートされており、批評家筋からは高い評価を得ているが、汎用ベースの香りとして毎日着けるには相応の覚悟が要る。
ボトル意匠 — 帽子作家らしいオブジェ性
Naomi Goodsir のボトルは、ブランドの個性が外装にも一貫していることを端的に示している。ベースは黒の四角いガラスボトルで、肩のラインが直線的に切り立つ建築的なシルエット。表面はマット仕上げで、光をほとんど反射しない。一般的なフレグランスボトルがクリスタルの透明感や金属パーツの輝きで「華やかさ」を演出するのとは正反対の方向で、置いてあるだけで部屋に黒い小さな彫刻が一つ加わるような佇まいを狙っている。サイズは50mlと100mlの2サイズが主で、限定品やボックスセットがごく稀に出る程度。展示販売よりも、棚に積まれた状態で並ぶことを想定していない造形で、ドレッサーや本棚に単体で置いたときに最も映える。
キャップ部分には、帽子作家らしい仕掛けがあり、太い革紐とロウで封蝋風のシールが施されている個体もある。量産ラインのフレグランスでこの種のディテールは採算が合わず通常採用されないが、ブランドの規模が小さいからこそ可能な仕様で、ボトル一本ごとに微妙に紐の縛り方や蝋の形が異なる。所有することそのものに工芸的な手応えがあり、コレクター心を強く刺激する。外箱にもブランドのモノクロームトーンが貫かれており、開封の瞬間まで一貫した世界観が組まれているのも、ファッション出身の作り手ならではの仕事だ。
編集部の見立て — どんな人に向くか
Naomi Goodsir は、明確にニッチ寄りの嗜好を持つ層に向いている。万人受けする清潔感や甘さで親しみやすさを稼ぐタイプではなく、革・煙・樹脂・灰といった素材を「物として置きにいく」香水だ。万能の褒められ香水を探しているなら、まず候補から外れる。一方で、香水を装着行為ではなく作品鑑賞に近い感覚で扱いたい層、あるいは Bertrand Duchaufour や Isabelle Doyen の仕事をブランド横断で追いかけてきた層にとっては、見過ごせないカタログを持つブランドだ。
導入の順番としては、最初の一本は Cuir Velours か Or du Sérail から入り、ブランドの粘度に慣れたあとで Bois d’Ascèse や Nuit de Bakelite に進むのが、編集部としては現実的だと考えている。とりわけ Nuit de Bakelite は試香サンプルでの判断が分かれやすく、ボトル買いより先に小分け流通で半年ほど寝かせて判断するのが安全だ。流通量はオーストラリアやフランス、ドイツ、ベルギーの一部専門店と、限定的なオンラインリテールに絞られており、入手難度は決して低くない。だからこそ、長く付き合うつもりで一本ずつ吟味するブランドとして、棚の隅に置いておく価値がある。










