DOMESTIC BRAND

KAPITAL(キャピタル)— 平田俊清と息子が児島で紡ぐ、ボロと刺し子のデニム

Kapital(キャピタル)── 児島発、BORO哲学と世界を魅了するデニムの詩

KAPITAL(キャピタル)は、平田俊清が岡山県の児島で立ち上げた日本のデニムブランドです。江戸時代から伝わるボロ(襤褸)や刺し子といった日本の手仕事を、ミッドセンチュリーのアメリカ古着の感覚と溶け合わせる独特の作風で、国内外に熱心なファンを持っています。一着のなかに、津軽の継ぎ接ぎ文化と、戦後アメリカのワークウェア、そして一九六〇年代のヒッピーやポップアートまでもが同居する。その文化の重ね合わせ方が、ほかに似たもののないブランドの個性をかたちづくってきました。

「KAPITAL とはどんなブランドか」を一言で言えば、デニムの聖地・児島で生まれ育ち、日本の伝統工芸を現代の古着の文脈へ翻訳し続けてきた、ものづくりのブランドです。創業者の平田俊清が築いた児島の自社工場という足場の上で、息子の平田和宏(Kiro)が現代的な表現を重ね、二世代にわたって独自の世界を広げてきました。

本記事では、平田俊清の人物像と創業の経緯から、息子Kiroによる現代化、海外での評価の高まり、そして二〇二四年の創業者逝去とその後までを年代で追ったうえで、ブランドの設計思想、デザイナー、代表的なアイテム、日本の手仕事との結びつきを順にたどります。

ボロ、刺し子、アメリカ古着 — KAPITAL の設計思想

KAPITAL の哲学を一言で要約するなら、日本の伝統工芸と、戦後アメリカの古着文化の融合です。創業者の平田俊清が一九八〇年代に空手の指導でアメリカに滞在した際に触れた、ミッドセンチュリーのアメリカンデニム。そして帰国後に児島で学んだ日本のデニム技術と伝統工芸。この二つを一着のなかで掛け合わせるという発想が、ブランドの根にあります。

核となるのが、ボロと刺し子という二つの日本の伝統です。ボロ(襤褸)は、江戸時代に青森を中心に発展した文化で、布が破れたら別の布を当てて継ぎ接ぎし、一枚の布を世代を超えて使い続ける生活の知恵から生まれました。KAPITAL はこのボロの手法を現代のデニムジャケットやコートへ翻訳し、傷んだ布の表情そのものを美しさとして提示してみせます。捨てずに継ぐという思想を、ファッションの文脈で蘇らせた点に、このブランドらしさがよく表れています。

刺し子もまた、KAPITAL を語るうえで欠かせない要素です。刺し子は、布を補強するための実用的な刺繍として江戸時代から続いてきた日本の手仕事です。家庭のなかで母から子へと受け継がれてきたこの技法を、KAPITAL はデニムやシャツの装飾として大胆に取り入れ、伝統の縫いを現代の一着の主役へと押し上げました。実用から生まれた技が、装飾の美しさとして再発見されているのです。

こうした日本の伝統に、アメリカのワークウェアやヴィンテージの古着、ネイティブアメリカンの意匠、一九六〇年代のヒッピー文化やポップアートの感覚が重ねられます。スマイリーフェイスや骨、目をモチーフにした遊び心のあるグラフィックは、その象徴です。色の基調も、藍のインディゴブルーから生成り、大地を思わせる赤、タイダイの多色までと幅広く、複数の文化の語彙が一枚の布の上で混ざり合います。

注目したいのは、これらの引用が散漫な寄せ集めに終わっていない点でしょう。一見すると無関係に思える津軽のボロと、アメリカ西海岸のヒッピー文化は、どちらも「ありものを大切に作り変える」「規格から外れたものに価値を見いだす」という精神でつながっています。KAPITALは、地理も時代も異なる文化のあいだに、この共通する精神を見いだして束ねてみせました。だからこそ、これだけ多様な要素を一着に詰め込んでも、ちぐはぐにならずに一つの世界として成立するのです。

そして、これらすべてを支えているのが、児島での自社製造です。児島は日本のデニム発祥の地であり、国産のセルヴィッジデニムを織り続けてきた産地です。KAPITAL は一九八四年からこの地で自社の工場を構え、伝統的な織機や染色、パッチワークの技術を四十年にわたって使い続けてきました。アイデアの奇抜さが、地に足のついた製造に裏打ちされているところに、ブランドの強度があります。

「KAPITAL とはどんなブランドか」を一言で言えば、デニムの聖地・児島で生まれ育ち、日本の伝統工芸を現代の古着の文脈へ翻訳し続けてきた、ものづくりのブランドです。

創業から現在まで — 年代でたどる歴史

創業前夜 — 空手家からデニムへ

平田俊清は岡山県の児島で生まれ、空手家として活動していました。一九八〇年代、空手の指導者としてアメリカに滞在した際、当時の現地で出会ったミッドセンチュリーのアメリカンデニムに強く心を動かされます。一九五〇年代から六〇年代のヴィンテージジーンズが持つ風合いと頑丈さに惹かれ、これが後のデニムづくりの原点になりました。海の向こうの古着に魅せられた日本人が、帰国してそれを自分の手で作り始めるという物語が、ここから始まります。

創業期(1984年〜1980年代)— 児島のデニム工場とブランドの始動

帰国した平田俊清は児島でデニムの技術を学び、一九八四年に自社のデニム工場を立ち上げました。児島は日本のデニム産業がここから始まったとされる土地で、国産デニム生産のもっとも重要な拠点の一つです。そして翌一九八五年、自身のブランドKAPITALを立ち上げます。

ブランド名のKAPITALは、児島が「日本のデニムの首都(Denim Capital of Japan)」と呼ばれることに由来しています。自分たちの土地こそがデニムの中心地であるという、地理的な誇りを名前に直接込めたものです。創業期は、ミッドセンチュリーのアメリカンデニムを日本の技術で再現することと、児島での自社製造を軸に据えていました。

児島という土地の選択そのものに、KAPITALの性格が表れています。児島は、戦後の日本でいち早く国産ジーンズの生産が始まった地として知られ、染めや織り、縫製の職人と工場が集まる産地です。アパレルブランドの多くが企画と生産を切り離していくなかで、KAPITALはあえて産地に根を張り、作る現場と一体になって服を生み出す道を選びました。デザインと製造が地続きであるという強みが、後の自由な実験を可能にしたのです。

Kapital Country 期(1990年代)— 文化的な語彙の確立

一九九〇年代に入ると、KAPITAL は「Kapital Country」という副ラインを立ち上げます。カントリーやヴィンテージのアメリカ古着、ワークウェア、そしてヒッピー文化への接近が、この時期に深まりました。後にKAPITALの個性となる文化的な引用の土台は、この一九九〇年代に築かれていきます。デニムの一ブランドにとどまらず、複数の文化を横断して取り込む姿勢が、すでに芽生えていました。

Kiro 入社と現代化期(2002年〜2010年代)— 息子が広げた世界

二〇〇二年、平田俊清の息子である平田和宏(Kiro)がKAPITALに加わります。Kiroはアメリカで美術を学び、帰国後に国内の評価あるブランドでデザイナーとして経験を積んだ人物でした。彼が持ち込んだのが、ボロと刺し子という日本の伝統工芸に、ネイティブアメリカンやアメリカのワークウェア、ヒッピー、ポップアートを掛け合わせるという、現在のKAPITALを象徴する方向性です。

この時期、KAPITAL は単なるデニムブランドから、複数の文化を融合させた独自のブランドへと姿を変えていきます。スマイリーフェイスや骨、目をかたどったグラフィックといった、ひと目でそれと分かるアイコンが確立されたのもこの頃でした。創業者が築いた製造の足場の上に、息子が現代の感覚を重ねるという二世代の協働が、ブランドの表現を一気に広げました。

Kiroの仕事で特筆すべきは、伝統工芸を懐古的に扱わなかった点です。ボロや刺し子を「古き良き日本」として神聖視するのではなく、ヒッピーやポップアートと同じ平面で扱える素材として軽やかに組み合わせました。その結果、KAPITALの服は伝統工芸の重みと、現代のストリートの遊び心を同時にまとうことになりました。重さと軽さの両立こそが、Kiroが持ち込んだ最大の更新だったと言えるでしょう。

グローバル認知期(2010年代)— 海外のセレクトショップへ

二〇一〇年代になると、KAPITAL は海外への展開を加速させます。アメリカやカナダ、北欧などの、日本のワークウェアを扱う主要なセレクトショップで取り扱われるようになり、世界的なカルト的人気を獲得していきました。日本の伝統工芸を現代のデニムへ翻訳するという作風が、国境を越えて評価された時期です。

この頃には、visvimやエンジニアドガーメンツ、オーラリーといった、現代の日本のものづくりを代表するブランド群と並んで語られる存在になっていました。少量生産で手仕事を重んじるという姿勢が、大量生産とは異なる価値を求める世界中の客に響いたのです。

海外での評価には、KAPITALならではの背景もありました。ボロや刺し子は、海外の客にとっては自国にはない異文化の手仕事として新鮮に映ります。同時に、継いで直して使うというボロの思想は、使い捨てを見直そうとする近年の価値観とも自然に重なりました。日本の古い生活文化が、めぐりめぐって現代のサステナブルな感覚と響き合った。この巡り合わせも、KAPITALが国境を越えて支持を広げた一因だったと言えるでしょう。

創業者の逝去とその後(2024年〜現在)

二〇二四年四月、創業者の平田俊清が亡くなりました。日本のデニムの歴史を築いた一人の喪失であり、業界に大きな衝撃を与えました。その後はクリエイティブディレクターである息子の平田和宏(Kiro)がブランドを引き継ぎ、四十年にわたって積み上げてきた連続性を守り抜いてきました。

Kiroのもとで、ボロと刺し子を軸とした作風も、児島での自社製造の体制も、そのまま受け継がれました。二〇二五年にはブランドは創業四十年を迎えます。創業者の遺志と息子の現代的な視点が一つになり、KAPITAL は二世代の継承によって歩み続ける、日本のものづくりのブランドとして現在に至りました。捨てずに継ぐというボロの思想が、ブランドの継承そのものにも重なって見える点は、いかにもこのブランドらしいところでしょう。

デザイナー — KAPITAL を作った人々

平田俊清(創業者)

平田俊清は、岡山県の児島出身の空手家でした。一九八〇年代にアメリカで空手を教えるなかでミッドセンチュリーのアメリカンデニムに触発され、帰国後に児島でデニムの技術を学び、一九八四年に自社工場、翌年にKAPITALを立ち上げました。海外で受けた刺激を、生まれ故郷の産地の技術で形にしたという歩みは、現代の日本のデニムブランドの原点の一つとして語られます。二〇二四年四月に逝去しましたが、彼が築いた児島の製造基盤は、今もブランドを支える揺るがない土台となりました。

平田和宏(Kiro、クリエイティブディレクター)

平田俊清の息子である平田和宏は、Kiroの名で知られるクリエイティブディレクターです。二〇〇二年にKAPITALへ加わり、ボロと刺し子という日本の伝統工芸に、ネイティブアメリカンやヒッピー、ポップアートの感覚を重ねるという、現在のKAPITALの方向性を確立しました。父が築いた製造の足場の上に、現代の文化を編み込む役割を担った人物です。二〇二四年に父が逝去した後も、ブランドのクリエイティブディレクターとして、その連続性を守り抜いてきました。アメリカで美術を学んだ経験を持つKiroがKAPITALにもたらしたのは、伝統工芸を現代美術のように扱う視点でした。古いものと新しいものを対等に並べるこの感覚が、ブランドを国際的な評価へと押し上げる原動力になったのです。

児島の工房チーム

KAPITAL を支えているのは、児島の自社工場と、ボロや刺し子を手がける職人たちです。一九八四年から四十年にわたり、国産セルヴィッジデニムの伝統的な織機や染色、パッチワークの技術を用いた製造が続けられてきました。デザイナーの発想を、確かな手仕事として形にする職人集団の存在が、KAPITALのものづくりの厚みを裏側から支えてきました。ボロのパッチワークや刺し子の一針は、機械では再現しきれない不揃いさを宿します。その手の痕跡こそが、KAPITALの服に一点ものとしての温度を与えているのです。

代表的なアイテム

KAPITAL の広い作品群から、ブランドの設計思想を体現する代表的なアイテムを取り上げます。

センチュリーデニム

KAPITAL のもっとも重要なシグネチャーが、センチュリーデニムと呼ばれるジーンズです。国産のセルヴィッジデニムに、ボロのパッチワークや刺し子の刺繍を施したもので、「百年もつデニム」という思想が込められています。ミッドセンチュリーのアメリカンデニムの再現と、日本の伝統工芸の融合が、もっとも分かりやすく一本のジーンズに結晶したアイテムです。古着や中古で探す際も、この継ぎや刺しの表情が、KAPITALらしさを見分ける手がかりになります。

センチュリーデニムが象徴するのは、長く付き合うほど価値が増すという思想です。一本のジーンズを使い捨てずに、補修を重ねながら世代を超えて受け継ぐ。ボロの精神をそのまま現代のデニムに宿したこのアイテムは、流行に追われる服とは別の時間軸で作られています。買った瞬間が完成ではなく、着込んだ年月そのものが価値になる。その考え方が、KAPITALというブランドの根幹を分かりやすく示しています。

ボロのデニムジャケットとコート

江戸時代の青森で発展した襤褸(ボロ)の文化を、現代のデニムジャケットやコートへ再構築したアイテムです。布が破れたら別の布を当てて継ぐという伝統の技法を、あえて意匠として前面に押し出し、傷んだ布の重なりそのものを美しさとして見せます。一枚として同じものがない表情の豊かさが、このカテゴリーの魅力です。捨てずに継ぐという日本の生活文化が、現代の一着に宿っています。

かつて貧しさのなかから生まれた継ぎ接ぎの布が、いまでは手の込んだ一点ものとして世界中で求められている。その逆転そのものが、KAPITALが提示する価値観の面白さを物語ります。古びや痛みを隠すのではなく、時間の痕跡を肯定する。その姿勢が、ボロのアイテムには色濃く表れているのです。

刺し子のシャツ

江戸時代から続く日本の伝統刺繍である刺し子を、現代的なカットのシャツへ落とし込んだアイテムです。布を補強するために始まった実用の縫いが、KAPITALの手によって装飾の主役へと転じました。一針ずつ刺された模様の手仕事感が、量産品にはない温度を一枚に与えます。藍に白い糸が走る刺し子の模様は、シンプルなシャツに静かな存在感をもたらし、和の素地を持ちながらも日常の装いになじみます。伝統の技を特別な晴れ着ではなく、普段着のシャツに落とし込んだところに、KAPITALらしい肩肘の張らない姿勢がうかがえるでしょう。

スマイリーや骨、目のグラフィック

スマイリーフェイスや骨、目をかたどったグラフィックは、KAPITALのもう一つの顔です。一九六〇年代のヒッピー文化やポップアートに着想を得たこれらのモチーフは、Tシャツやシャツ、フーディ、バッグまで幅広く用いられ、ブランドの遊び心と現代性を象徴しています。伝統工芸の重厚さと、ポップなアイコンの軽やかさ。その振れ幅の大きさこそが、KAPITALの懐の深さです。

日本の手仕事との結びつき

KAPITAL を論じるうえで外せないのが、児島という産地と日本の伝統工芸への深い結びつきです。児島は国産デニムが生まれた土地であり、KAPITAL は一九八四年からこの地で自社工場を運営し、メインの生産を国内で続けてきました。産地を声高に宣伝するというより、製品そのものの質感で語るという姿勢を保ってきたブランドです。

とりわけ、ボロと刺し子という二つの伝統を現代のファッションへ翻訳した功績は大きいものです。ボロが体現する「継いで使い続ける」という思想は、大量に作って大量に捨てる現代の消費とは正反対の価値観を示します。刺し子の一針ずつの手仕事も、効率を最優先する量産とは別の時間の流れを宿しています。KAPITAL は、こうした日本の生活文化に根ざした技を、世界に通用する現代の表現へと押し上げてきました。デニムの産地である児島の技術を守りながら国内製造を続けてきたことが、産地そのものの存続にも寄与してきた点は、記録しておくべき事実です。

見ておきたい節目

1985年 — KAPITAL の創業

児島のデニム工場を足場に、平田俊清がKAPITALを立ち上げた起点です。ミッドセンチュリーのアメリカンデニムを日本の技術で再現するという出発点が、後のすべての展開の土台になりました。ブランドの歩みを振り返るうえで、まず押さえておきたい原点です。

2002年 — Kiro の参加と現代化

息子の平田和宏(Kiro)が加わり、ボロと刺し子の伝統に、アメリカのワークウェアやヒッピー、ポップアートを掛け合わせる現在の方向性が定まった節目です。デニムブランドから、文化を横断する独自のブランドへと変わっていった転換点であり、KAPITALを理解するうえで欠かせない時期です。

2010年代 — 世界での評価

海外のセレクトショップを通じて、KAPITALの作風が国境を越えて評価された時期です。日本の伝統工芸を現代のデニムへ翻訳するという姿勢が、世界中の客に受け入れられ、ブランドはカルト的な人気を確立しました。

アーカイブ市場での価値

KAPITAL は、古着や中古の市場でも独自の地位を持っています。一枚ずつ表情の異なるボロのアイテムや、手仕事の刺し子は、量産品にはない個体差を持つため、中古でも一点ものとして探される傾向があります。流行に左右されない作りのため、数年前のアイテムでも古びにくく、むしろ着込むほどに味わいが増していきます。

とりわけデニムは、着る人の体や暮らしに合わせて色が落ち、皺が刻まれていくため、同じ一本でも持ち主によってまったく違う表情へと育ちます。ボロや刺し子のアイテムは、もともと一点ずつ表情が異なるうえに、着込みによる変化が加わるため、中古市場では「その個体にしかない味」を求めて探されることも少なくありません。新品で完成された服を買うのとは異なる、育てる楽しみを内包しているのがKAPITALの服です。

中古でKAPITALを選ぶ際は、継ぎや刺しの表情、デニムの色落ち、そして児島製らしい生地の質感に目を向けると、ブランドらしさを読み取りやすくなります。長く着込む前提で作られたブランドだからこそ、一着との付き合いが長くなるほど、その良さが分かってくるはずです。

まとめ — 児島から世界へ、継いで紡ぐデニム

KAPITAL は、平田俊清が岡山の児島で立ち上げ、息子の平田和宏(Kiro)が現代へと受け継いできた、日本のデニムブランドです。ボロと刺し子という日本の伝統工芸を軸に、アメリカの古着やヒッピー、ポップアートの感覚を重ね、児島の自社製造でそれを形にしてきました。二世代にわたる継承そのものが、捨てずに継ぐというボロの思想を体現しているようにも見えます。

ブランドを選ぶ視点で見れば、KAPITAL は「長く着込む一着」を求める人に向いた存在です。手仕事による個体差と、流行に左右されない作りは、時間が経つほどに価値を増していきます。古着や中古でKAPITALに出会うことは、児島の職人たちが紡いできた手仕事の物語に触れることでもあり、一着を長く育てる楽しみへの入り口にもなります。気になるアイテムがあれば、まずは下記から探してみてください。

編集方針について — この記事は GUZ FASHION 編集部のDOMESTIC BRANDカテゴリの編集方針に沿って制作されています。

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