設計思想 — 身体の線を彫塑する仕立て
Alaïaは、1980年にAzzedine Alaïa(チュニジア・チュニス生まれ)がフランス・パリで立ち上げたハウスです。生年は資料によって1935年・1940年と幅があり、Alaïa本人が「私はファラオの歳だ。年号はすべて消した」と語っていたことで知られるとおり、意図的に年齢を明かさない人物でした。創業から46年にわたって、欧米の高級服飾の世界における「身体の線を彫塑する仕立て」の代表者として独自の地位を保ち続けてきました。
ハウスを象徴するのは、Azzedine本人の彫刻を学んだ経歴を活かした、身体の曲線をそのままなぞる立体的な仕立てです。チュニス美術学校(École des Beaux-Arts de Tunis)で彫刻を学んだAzzedineは、女性の身体を粘土を扱うように仕立てに翻訳する手法で、1980年代の高級婦人服の世界に新しい風を吹き込みました。米国の歌手Tina Turner、Grace Jones、英国のモデルNaomi Campbell、米国の歌手Madonnaといった、自身の身体を強く主張する世代の女性たちがAlaïaの仕立てを愛用したことで、「Body Conscious」(身体を意識した)という言葉とともにハウスは世界中に知られていきました。
Azzedine Alaïaの仕事の最大の特徴は、欧米の主流の発表会のリズムからあえて外れた歩みです。パリのファッションウィークの正式な季節発表会に参加せず、自身のアトリエで顧客と直接向き合う場で発表を行うという姿勢を1990年代以降に貫きました。「自分のリズムで作る」というAzzedineの方針は、欧米の業界誌で繰り返し取り上げられる独自の歩みとなり、生前から「服飾の彫刻家」としての地位を不動のものにします。
経営の節目として、2000年にイタリアのPrada Groupがハウスへの資本参加を発表し、低迷していた業績を立て直す契機となりました。2007年、Azzedineは自身のハウスをPradaから買い戻し、同年スイスの高級服飾持株会社Richemont(Cartier、Van Cleef & Arpels、Montblanc、IWC、Jaeger-LeCoultreなどを傘下に持つ持株会社)が新たな出資者となっています。Azzedine本人は引き続き創造の中核として2017年の死去まで関与し続けました。
2017年11月18日、Azzedine Alaïaはパリでその生涯を閉じました。死去後のAlaïaは数年にわたる過渡期を経て、2020年12月にベルギーのデザイナーPieter Mulier(1979年生まれ、Raf Simonsの長年の右腕としてJil Sander、Dior、Calvin Kleinで経験を積んだ人物)が新指揮者に任命され、2021年から新章を歩んでいます。
代表的な意匠として、身体の曲線をそのままなぞる細身のニット、編み込みの靴とハンドバッグ、コルセットを取り入れた立体的なドレス、Mary Janeの靴(1980年代から続くAlaïaの代表的な意匠)などが知られています。
創業から現代まで — Alaïaの歩み
チュニスからパリ、複数のアトリエでの修業時代
Azzedine Alaïaはチュニジア・チュニスで生まれ育ちました。若いころからチュニス美術学校(École des Beaux-Arts de Tunis)で彫刻を学び、卒業後にパリでの服飾の世界への移住を決断します。
1956年6月、Azzedineはパリへ移りました。Christian Diorのアトリエでの仕立ての修業はわずか4日間(1956年6月26日から29日まで)で終わり、続いてGuy Larocheのアトリエで2シーズンを過ごした後、Thierry Muglerのもとで経験を積みます。1960年代から1970年代にかけては、パリの上流階級の女性(Greta Garbo(米国の俳優)やMarie-Hélène de Rothschildなど)の個人的な仕立てを手がける専属の仕立て屋として、独自の地位を築いていきました。
Thierry Muglerとの縁と自身のハウスの立ち上げ
1979-80年秋冬コレクションで、Thierry MuglerはAzzedineに自身のショーのタキシード一式のデザインを依頼し、発表会に添えたプレスキットで公にその名を謝辞に挙げました。Muglerによるこの後押しは、Azzedineが独立したデザイナーとして歩み始めるきっかけの一つになったと伝えられています。
1980年、Azzedineはパリで自身の名を冠したハウスを立ち上げました。ストレッチ素材のミニドレスと細身のニットが、米国Vogueの編集者Anna Wintourらによって繰り返し取り上げられ、Azzedine Alaïaの名前は欧米とアジアの服飾業界誌で広く知られていきます。1985年には米国CFDAから国際デザイナー賞を受けており、フランス出身のデザイナーが同賞を受けた初期の事例として記録されています。
1980年代後半 Tina Turner、Grace Jones、Naomi Campbellとの縁
1980年代後半は、Azzedine Alaïaの歩みのなかで最大の文化的な節目となりました。米国の歌手Tina Turner、Grace Jones、英国のモデルNaomi Campbell、米国の歌手Madonnaといった、自身の身体を強く主張する世代の女性たちがAlaïaの仕立てを愛用したのです。
特にNaomi Campbellは、若いころからAzzedineの養女のような存在として彼のアパートに身を寄せ、Azzedineの発表会で頻繁にモデルとして登場する独自の縁を長く続けました。Alaïaの名前は、こうした著名な愛用者を通じて欧米とアジアのポップカルチャーの中心に位置する存在になっていきます。
1990年代 主流のファッションウィークから距離を置く姿勢
1990年代に入ると、Azzedine Alaïaは欧米の業界の主流から独自の歩みを進める決断を下します。パリのファッションウィークの正式な季節発表会に参加せず、自身のアトリエで顧客と直接向き合う場で発表を行う姿勢を貫きました。
「自分のリズムで作る」というAzzedineの方針は、欧米の業界誌で繰り返し取り上げられる独自の歩みとなります。ファッションウィークの忙しいリズムから離れたAzzedineのアトリエは、欧米の若手デザイナー(Olivier Theyskens、Nicolas Ghesquière、Riccardo Tisciなど)にとっての一種の聖地としても知られる場所になりました。
2000-2007 Pradaとの資本提携から買い戻しへ
2000年は、Alaïaの歩みのなかで経営の節目となりました。イタリアの高級服飾グループPradaがハウスへの資本参加を発表したのです。低迷していた業績はこの提携によって立て直され、Azzedineは2002年に季節ごとのランウェイ発表へ復帰しています。
2007年7月、AzzedineはPradaから自身のハウスを買い戻しました。買い戻し後もPradaは引き続きAlaïaの革小物と靴の企画・製造を担当しています。同じ2007年、スイスの高級服飾持株会社Richemontが新たな出資者として参加し、パリにAlaïa財団を設立する構想も同時に進められました。Azzedine本人はRichemontの傘下でも引き続き創造の中核として2017年の死去まで関与し続けます。
2017年11月18日 Azzedine Alaïaの死去
2017年11月18日、Azzedine Alaïaはパリでその生涯を閉じました。長年のパートナーであるChristoph von Weyhe(ドイツ人画家)に看取られたと伝えられています。
Azzedine Alaïaの死去は、欧米の業界における2017年の大きな喪失として、米国New York Times、英国Guardian、フランスLe Mondeなどの主要な業界誌で繰り返し取り上げられました。「服飾の彫刻家」の歩みに対する追悼が世界中の業界誌で連続して発表される事例となります。
2020-2021 Pieter Mulierの就任と新章
Azzedine死去後のAlaïaは、後任の指揮者を据えずに数年にわたって過渡期を過ごしていました。2020年12月、AlaïaはベルギーのデザイナーPieter Mulier(1979年生まれ、Raf Simonsの長年の右腕としてJil Sander、Dior、Calvin Kleinで経験を積んだ人物)を新指揮者として任命することを発表しました。Pieter Mulierの正式な就任は2021年初頭から進められています。
Alaïaを作った人々
Azzedine Alaïa(創業者、1980-2017)
チュニジア・チュニス生まれ、生年は資料により1935年・1940年と幅があり本人も意図的に明かさなかった人物です。チュニス美術学校で彫刻を学んだ後1956年にパリへ移り、Dior・Guy Laroche・Thierry Muglerのアトリエで修業を積みました。Muglerの後押しを受けて1980年に自身のハウスを立ち上げ、身体の曲線をそのままなぞる仕立てで「服飾の彫刻家」と呼ばれる存在になりました。2000年のPrada資本参加、2007年の買い戻しとRichemont提携を経て、2017年11月18日にパリで死去するまで創造の中核であり続けた人物です。
Pieter Mulier(クリエイティブディレクター、2021-現在)
1979年生まれのベルギー人デザイナーです。Raf Simonsの長年の右腕として、Jil Sander、Dior、Calvin Kleinで経験を積んだ後、2020年12月にAlaïaの新指揮者として任命されました。
代表アイテム — Alaïaの語彙
身体の曲線をなぞる細身のニット
ハウスの代名詞となった意匠です。粘土を扱うような仕立ての手法で、身体の曲線をそのまま生かすシルエットを実現しています。1980年代のBody Consciousムーブメントを象徴する一着です。
編み込みの靴とハンドバッグ
ハウスのもう一つの代名詞です。革紐を編み込む手仕事の技法を用いた靴とバッグで、Mary Janeの靴とあわせてAlaïaの職人技を象徴する作品となっています。
中古市場でのAlaïa
Alaïaの中古市場は、複数の軸で形成されています。細身のニットドレス、編み込みの靴とハンドバッグ、コルセットドレスなどが日本国内でも取引されています。
日本ではフリマアプリ、メルカリ、Vestiaire Collective、ZOZO USED、それから東京・青山や表参道の古着店での流通が中心です。Azzedine期のヴィンテージピースは特に評価が高く、状態の良い個体は高値で取引される傾向があります。相場は出品状況で変動するため、購入時は個別に最新価格を確認することをおすすめします。
まとめ — チュニスの彫刻少年から、身体の彫刻家、そしてPieter Mulier期まで
Alaïaの歩みをまとめると、次のような節目に整理できます。チュニスで彫刻を学んだAzzedine Alaïaは1956年にパリへ移り、複数のアトリエでの修業とThierry Muglerの後押しを経て、1980年に自身のハウスを立ち上げました。Tina TurnerやNaomi Campbellらに愛用されたBody Consciousの時代を経て、1990年代には主流のファッションウィークから距離を置く独自の姿勢を貫き、2000年のPrada資本参加・2007年の買い戻しとRichemont提携という経営の転機を乗り越えました。2017年の死去後、2021年からはPieter Mulierが新章を率いています。
中古市場では細身のニットと編み込みの靴・バッグを軸に日本国内でも取引され、「身体の彫刻家」の哲学を今に伝えるハウスとして支持を集めてきました。Alaïaの歩みは、「チュニスで彫刻を学んだ青年が、パリで身体の曲線を仕立てに翻訳する独自の技法を確立し、時代を超えて参照され続けるハウスを築いた事例」として、今後も語り継がれるはずです。











