「CRES.E.DIM」というロゴを見て、音楽の強弱記号を思い浮かべる人は多くないかもしれません。ですが、このブランドを率いてきたデザイナー、Hongbum Kim(ホンボム・キム)にとって、それは単なる語呂合わせではなく、コレクション全体を貫く設計思想そのものです。韓国出身のKimは2009年に自身のブランドを立ち上げ、以来、音楽理論という一見ファッションから遠い領域を、布と縫製の言語へ翻訳し続けてきました。本稿では、Kimの経歴とブランド名の由来、代表的なデザイン手法、そして韓国ファッション界での位置づけを、確認できる事実を軸に整理します。
Hongbum Kimという設計者 — ブランド設立までの道のり
Hongbum Kimは、CRES.E.DIMを立ち上げる前から、韓国のファッションシーンで頭角を現していたデザイナーです。2007年にはソウルのDoota(トゥータ)が主催するベンチャーデザイナーコンペティションで優勝を果たし、2009年にはオーディション番組「Project Runway Korea」に参加しました。こうした場で経験を積んだのち、同じ2009年に自身のブランドCRES.E.DIMを設立し、2010年のソウルファッションウィークでデビューコレクションを発表します。コンペティションでの評価から始まり、テレビの舞台、そして自身の名を冠したブランドへと歩みを進めた経歴は、韓国の若手デザイナーが辿る典型的なキャリアパスの一つを体現していると言えるでしょう。
Kimが音楽理論に強い関心を持っていたことは、ブランドの設計思想そのものに深く刻まれています。クラシック音楽の演奏記号のうち、強弱の変化を示す「クレッシェンド」と「ディミヌエンド」という相反する二つの動きに、Kimは服づくりの構造を重ね合わせました。音を扱う理論を、布のドレープや裁断といった触覚的な素材へ変換するという発想は、ファッションデザインの中でも珍しいアプローチと言えます。もともと理論や記号の体系に関心を持つ作り手は少なくありませんが、それを一過性のモチーフとしてではなく、ブランド名から縫製の手法に至るまで一貫して貫いた点に、Kimの姿勢の特異性があります。
Doota(トゥータ)は、ソウルの東大門(トンデムン)エリアに位置するファッションモールで、若手デザイナーの発掘を目的にしたコンペティションを継続的に開催してきた場として知られています。東大門は縫製工場と卸売市場が密集する街として発展してきた経緯があり、そこで開かれるコンペティションで評価を得るということは、単なるコンセプトの新奇さだけでなく、実際に量産・縫製の現場と接続できる完成度も同時に求められることを意味します。Kimが2007年にここで優勝を果たした事実は、のちの音楽理論という抽象的なコンセプトを、実際に着られる服として仕立てる技術的な裏付けを、キャリアの早い段階で獲得していたことを示しています。テレビ番組という異なる性質の舞台で経験を積んだこととあわせて、Kimのキャリアは「コンセプトを語る力」と「服として成立させる技術」の両輪で構築されてきたと見ることができるでしょう。
クラシック音楽の演奏記号のうち、強弱の変化を示す「クレッシェンド」と「ディミヌエンド」という相反する二つの動きに、Kimは服づくりの構造を重ね合わせました。
ブランド名「CRES.E.DIM」と音楽用語の翻訳
ブランド名「CRES.E.DIM」は、音楽用語「Crescendo e Diminuendo(クレッシェンド・エ・ディミヌエンド)」の頭文字から取られています。「クレッシェンド」は演奏記号で「徐々に音を大きくする」ことを、「ディミヌエンド」は反対に「徐々に音を小さくする」ことを意味し、この二つはクラシック音楽において対をなす強弱表現として使われてきました。「CRES」がクレッシェンドの略、「DIM」がディミヌエンドの略にあたり、相反する二つの動きを一つのブランド名へ統合したところに、Kimの発想の核心があります。
音楽理論をファッションのアイデンティティへ翻訳するという手法は、単なる比喩にとどまりません。コレクションのシルエットや素材の重なりそのものが、音の強弱の変化を視覚的に表現する構造として設計されている点が、CRES.E.DIMを他の韓国発ブランドと分ける特徴です。見る角度や身体の動きによって、布の重なりが持つ「強さ」の印象が変化していく狙いは、静止した衣服のなかに時間的な変化を持ち込もうとする試みだと捉えられます。楽譜のうえで強弱記号が音量の推移を指示するように、CRES.E.DIMの服は着る人の動作によって表情を変え、一着のなかに複数の「聴こえ方」を仕込もうとしてきました。
Directional Silhouette — 方向性を持つ構築
CRES.E.DIMの作品を語るうえで欠かせないのが、「ディレクショナル・シルエット」と形容される構築手法です。これは業界のブランド紹介などで使われる表現で、複数の異なる素材の布を意識的にオーバーラップさせ、シェイプを断片化された構造として組み合わせながら、繊細な配色を重ねていくアプローチを指します。一枚の布で完結させるのではなく、複数の生地を層のように重ねることで、着る人の動きに応じてシルエットの見え方そのものが変わっていく構築を目指している点が特徴です。
脱構築されたカッティング、布を重ねるオーバーラップ・レイヤー、彫刻的な立体感を持つアイテム、あえて仕上げを崩したルーズな裾処理など、クラシックな服のパターンを非伝統的な角度から解釈し直す手法が、コレクションを通じて一貫して見られます。ロングコートを脱構築的に解体して組み直したアイテムや、重ね布の構造そのものをデザインの主役に据えたトップス、彫刻のような立体感を持つワンピース、左右非対称に構築されたスカートなど、いずれも「素材を重ねることで生まれる方向性」というブランドの核を体現するアイテムです。
とりわけルーズな裾処理は、一見すると未完成な印象を与えかねない要素ですが、CRES.E.DIMの文脈では意図的な「余韻」として機能します。演奏の最後の一音が完全に止まる前にわずかな余韻を残すように、裾のラインをあえて切り揃えず崩すことで、そのアイテムが「まだ強弱の途中にある」ことを示唆しているとも読み取れます。完成された静止画としての服ではなく、途中経過としての服という発想は、Directional Silhouetteという構築手法全体に通底する考え方です。
こうした脱構築的なアプローチに惹かれる人は、まず基本形からの応用として近い雰囲気の一着を探してみるのもよいでしょう。
裾や着丈があえて非対称に組まれたスカートは、CRES.E.DIMが得意とする「方向性のある構築」を手に取りやすい形で体感できるアイテムです。左右で異なる長さの布が揺れるたびに表情が変わる感覚は、強弱記号が示す動的な変化と地続きにあります。
脱構築された輪郭を持つアウターは、素材を重ねる構築の入り口として分かりやすいカテゴリーです。肩や袖のラインを崩しながらも全体のシルエットを保つ設計は、CRES.E.DIMのコート類に通じる考え方です。
2013年 CONCEPT KOREA — 韓国代表5人としての選出
2013年、Hongbum Kimは「CONCEPT KOREA」の韓国代表デザイナー5人の一人に選出されました。CONCEPT KOREAは韓国の政府機関が主導するファッション振興プログラムで、韓国の新進デザイナーを米国のファッション業界へ紹介する役割を担っています。このときの代表5人には、Kathleen Kye、Choi Bo-ko、Lie Sang-bong、そしてHongbum Kim、Son Jung-wanという名が並びました。CONCEPT KOREAの代表選出を通じて、Kimはニューヨーク・ファッションウィーク期間中の合同ショーケースでコレクションを発表する機会を得て、米国の主要バイヤーへ向けて自身のデザインを直接届けることになりました。
韓国国内のコンペティションで頭角を現し、国が後押しする国際的なショーケースの舞台に立つという流れは、CRES.E.DIMというブランドが単なる個人の作家性にとどまらず、韓国ファッション産業が対外的に発信したいデザイン言語の一つとして位置づけられてきたことを示しています。政府主導のプログラムを通過するためには、独自性と同時に一定の商業的な訴求力も求められるはずで、Kimのブランドが両方を兼ね備えていたと評価された結果とも読み取れます。
サブブランド「DIM.E.CRES」— 逆転する方向性
Kimは本ラインのCRES.E.DIMに加えて、サブブランド「DIM.E.CRES」も展開してきました。名称は本ライン名を逆順に並べた構造になっており、本ラインが「クレッシェンドを先に、ディミヌエンドを後に」という方向性を持つのに対し、サブラインは「ディミヌエンドを先に、クレッシェンドを後に」という、正反対の展開を意図した命名です。ソウルファッションウィークのランウェイでルックが披露されており、本ラインがコンセプチュアルな構築を軸にする一方で、サブラインはより日常的に着られるアイテムを軸にするという役割分担で展開されてきました。名前の構造そのものに設計思想を折り込むところに、Kimの音楽理論への一貫したこだわりが表れています。
本ラインとサブラインという二つの名前が、互いを鏡写しにするように配置されている構図は、CRES.E.DIMというブランド全体が「一つの正解」ではなく「対になる二つの方向性」を常に用意してきたことを象徴しています。強弱記号がそうであるように、増加と減少はどちらか一方だけでは成り立たず、対になって初めて音楽的な意味を持ちます。ブランド展開の構造そのものがその原理を反復している点は、CRES.E.DIMの世界観を理解するうえで見逃せない部分です。
本ラインとサブラインを並列に運営するという判断は、経営的にも意味を持ちます。コンセプチュアルな構築を追求する本ラインだけでは価格帯も客層も限られますが、日常的に着られるアイテムを軸にしたサブラインを併走させることで、実験的なデザインを支える売上の裾野を広げることができます。芸術性と商業性の両立という、実験的なブランドが必ず直面する課題に対して、Kimは「もう一つの方向性を持つブランドを作る」という、名前の構造そのものを応用した独自の回答を用意したとも言えるでしょう。デザインの哲学と事業の構造が同じ論理で貫かれている点に、CRES.E.DIMというブランドの一貫性が表れています。
主要な取扱チャネル — Lane CrawfordとNOT JUST A LABEL
CRES.E.DIMの販売チャネルとしては、香港を拠点とするラグジュアリー百貨店Lane Crawfordにブランドページが存在し、アジアの高感度な顧客層へ向けて展開されてきました。あわせて、新進デザイナーを中心に紹介するグローバルなオンラインプラットフォーム「NOT JUST A LABEL」にも公式ブランドページがあり、Kimのデザイン哲学やコレクションの背景がここで発信されています。実験的な構築を軸にするブランドが、伝統的なラグジュアリー百貨店と新進デザイナー向けのデジタルプラットフォームの両方に足場を持っている点は、CRES.E.DIMが「作家性」と「商業的な流通」の両立を試みてきたことを物語ります。
Lane Crawfordのような百貨店は、既に評価の定まったブランドと並べて新進デザイナーの作品を紹介する場としての機能を持ちます。そこにコレクションを置くということは、実験的なシルエットであっても一定の完成度と着用可能性を備えていると判断されたことを意味します。一方でNOT JUST A LABELは、まだ大規模な流通に乗る前のデザイナーが直接自身のストーリーを発信できる場であり、CRES.E.DIMのように概念的な設計思想を持つブランドにとっては、その背景を丁寧に伝えられる貴重なチャネルになってきました。
この二つのチャネルの性格の違いは、CRES.E.DIMというブランドが抱える二面性ともきれいに重なります。百貨店の棚に並ぶときのCRES.E.DIMは、他の確立されたブランドと同じ基準で選ばれ、着用可能性やクオリティで評価される商品としての顔を見せます。一方でデザイナーズプラットフォーム上のCRES.E.DIMは、Kimがなぜ音楽理論を服づくりに持ち込んだのか、その背景にある思考の過程まで含めて伝えられる、物語としての顔を見せます。実験的な作り手の多くは、このどちらか一方の顔しか持てずに終わることも少なくないなかで、両方の顔を維持し続けてきたことは、CRES.E.DIMというブランドの持続力を支える要因の一つと考えられます。
脱構築というアプローチをまとうために
CRES.E.DIMのようなブランドを日常に取り入れる際は、構築の強いアイテムを一点だけ選び、他をシンプルにまとめるという着こなしが扱いやすい入り口になります。彫刻的なシルエットのアイテムは主役として単体で成立する強さを持つため、周囲を無地でまとめるほど、その構築の妙が際立ちます。逆に、脱構築されたコートとレイヤードのトップスのように、構築の強いアイテムを複数重ねてしまうと、それぞれが持つ「方向性」が互いに干渉し、着こなし全体としては雑然とした印象になりやすい点には注意が必要です。強弱記号が同時に二つ鳴らされると音楽として成立しないのと同じ理屈で、CRES.E.DIMの服も一着のなかで完結する構築を、周囲の静けさとセットで着こなすことが向いています。
色の選び方についても、ブランドの設計思想と地続きに考えることができます。素材の重なりそのものが陰影を作り出すため、色数を絞ったモノトーンやニュートラルな色調で組むと、光の当たり方によって生まれる質感の変化がより際立ちます。差し色を入れるとしても、素材の重なりの少ない部分に一箇所だけ添える程度にとどめておくと、脱構築的な構築そのものが持つ複雑さを、色の情報量で邪魔せずに活かすことができるでしょう。素材の質感を活かすという観点では、光沢のある生地とマットな生地を組み合わせて重ねると、単色でまとめた着こなしのなかにも陰影の変化が生まれ、写真に撮ったときの見え方も豊かになります。
立体的な構造を持つワンピースは、CRES.E.DIMが得意とする「彫刻のような服」の入り口として探しやすいカテゴリーです。身体から離れた布の分量そのものが陰影を作り、静止していても動きの気配を感じさせます。
異素材を重ねるレイヤード構造のトップスは、CRES.E.DIMの中核にあるオーバーラップの考え方に近いアイテムです。素材ごとの光沢や質感の差が、強弱記号の変化を視覚的に代弁してくれます。
同時代の韓国デザイナーたちの中での位置づけ
2000年代から2010年代にかけて、韓国からは実験的なアプローチを掲げる独立系デザイナーが相次いで登場しました。CRES.E.DIMもその潮流のなかで活動してきたブランドの一つです。同時代に活動してきた韓国出身のデザイナーには、脱構築的な手法を共有する作り手や、ソウルを拠点にコンセプチュアルなコレクションを展開してきた作り手が複数存在し、CRES.E.DIMはそのなかでも「音楽理論を服づくりの構造に翻訳する」という切り口を貫いてきた点で独自の立ち位置を築いてきました。他ジャンルの理論を援用するデザイナー自体は珍しくありませんが、建築や美術からの引用が多いなかで、音楽という時間軸を持つ表現領域から着想を得ている点は、比較的珍しい部類に入ります。
韓国のファッション産業がCONCEPT KOREAのような国のプログラムを通じて新進デザイナーを海外へ送り出してきた背景には、ソウルという都市が持つ実験精神と、それを商業的なチャネルへ繋げようとする産業的な後押しの両方があります。CRES.E.DIMのキャリアは、個人の作家性と国家的なファッション振興策が交差する場所で育まれてきたブランドの一例として読むことができるでしょう。国のプログラムに選ばれるということは、単に技術力が評価されただけでなく、韓国のファッションを海外へ紹介する「顔」としてふさわしいと判断されたことも意味しており、Kimのブランドが持つ音楽理論という独自の切り口が、その選定において強みになった可能性は十分に考えられます。
ソウルファッションウィークという舞台そのものも、2000年代以降に国際的な認知を高めてきた比較的若いプラットフォームです。パリやミラノのような伝統的なファッション都市と違い、ソウルは政府の後押しと若手デザイナーの実験精神を組み合わせることで、独自の存在感を築いてきました。CRES.E.DIMがそこでデビューし、数年のうちにCONCEPT KOREAという国際発信の舞台まで駆け上がった速度は、ソウルという都市が新しい才能を後押しする仕組みを実際に機能させてきたことの一つの証左と言えるかもしれません。音楽理論という個人的な関心から出発したブランドが、こうした産業的な支援構造と接続し、国境を越えて評価される場所まで届いた経緯そのものが、CRES.E.DIMというブランドの物語の重要な一部を成しています。
音楽理論をまとうということ
CRES.E.DIMを一着でも手に取ってみると、複数の生地が重なり合う構造そのものが、静止した服のなかに「動き」の予感を宿していることに気づきます。強弱記号という、本来は耳で聴く時間芸術のための記号を、目で見て触れる衣服の構造へ置き換える試みは、単純な模様やロゴでブランドの世界観を語るよりもずっと抽象的で、読み解く楽しさを持っています。
Kimが韓国国内のコンペティションからキャリアを積み上げ、CONCEPT KOREAという国のプログラムを経て国際的な舞台に立ち、Lane CrawfordとNOT JUST A LABELという異なる性格を持つチャネルの両方で展開されてきた歩みは、実験的なデザインが商業的に成立するための一つの道筋を示しています。ブランド名に込められた「徐々に大きく、徐々に小さく」という音楽の呼吸を、コレクションの構造のなかに探しながら見ることで、CRES.E.DIMという名前の奥行きが一段と深く伝わってくるはずです。
音楽とファッションという、本来は別々の感覚器官に訴えかける表現領域を橋渡しする試みは、CRES.E.DIM以外にも例がないわけではありません。ですが多くの場合、それは一シーズン限りのテーマやプリントのモチーフとして消費され、次のシーズンには別のコンセプトへ切り替わっていきます。Kimがブランド設立から現在まで一貫して「クレッシェンドとディミヌエンド」という同じ理論を掘り下げ続けてきた持続性は、それが単なるシーズンテーマではなく、Kim自身のものの見方そのものであることを物語っています。一つの理論を長く掘り下げ続けるという姿勢は、トレンドの移り変わりが速いファッション業界のなかでは、むしろ稀有な態度と言えるでしょう。派手なコラボレーションや話題性で注目を集める戦略とは対照的に、一つのコンセプトを何年もかけて彫り込んでいくCRES.E.DIMの姿勢は、静かながらも確かな存在感をこのブランドに与え続けてきました。音として消えていく強弱記号を、消えない布の構造として残し続けてきたことこそ、CRES.E.DIMという名前が持つ最大の逆説なのかもしれません。











