Nike ACGの現在地 — 「あらゆる気象条件のためのギア」という発想
Nike ACG(ナイキ エーシージー)は、Nikeが展開するアウトドア特化のラインです。ACGとは「All Conditions Gear」の頭文字を取ったもので、直訳すれば「あらゆる気象条件に対応する装備」という意味になります。1989年の正式ローンチから今日まで、山を歩くための機能性と、都市生活のなかで着られるスタイルという、一見相反する二つの軸のあいだを何度も行き来してきたのが、このラインの歴史そのものだといえます。
2026年時点のNike ACGは、トレイルランニングシューズの「ACG Ultrafly」や、一般販売前の技術検証段階にある「ACG Radical Airflow」トップス、ジャケット類の「ACG Lava Loft」「ACG Phantazma」といった新しいプロダクト群を軸に、Bandit(バンディット)やSoar(ソア)、Unna(アナ)、Satisfy(サティスファイ)といった専門性の高い新興アウトドア・ランニングブランドと同じ土俵で存在感を示そうとしている段階にあります。海外メディアの報道では、性能の高さだけではブランドを選ぶ理由にならなくなり、文化的な支持がブランドの行方を左右する時代になっているという指摘もあり、Nike ACGにとってもデザインの説得力そのものが問われる局面が続いています。
本記事では、1989年の発足経緯からTinker Hatfieldによる初期の代表作、Errolson Hughを起用したNikeLab ACG期、そしてアウトドアへの回帰を経た現在までの流れを、一次・権威ソースに基づいて整理します。そのうえで、古着メディアとしての視点から、90年代のヴィンテージACGが二次流通市場でなぜ根強い人気を保っているのかについても触れていきます。
ACGとは「All Conditions Gear」の頭文字を取ったもので、直訳すれば「あらゆる気象条件に対応する装備」という意味になります。
発足の経緯 — 山岳から始まったNikeのアウトドア展開
Nike ACGの土台には、1989年の正式ローンチより前から積み重ねられていたNikeのアウトドアへの取り組みがあります。きっかけのひとつは、1978年前後に登山家のリック・リッジウェイとジョン・ロスケリーがK2登山の際にNikeのランニングシューズ「LDV」を履いていたことだとされ、その現場でのフィードバックがのちのアウトドア向けフットウェア開発に直接つながったと伝えられています。1980年代前半には「Lava Dome」や、Nikeとして初めてGORE-TEXを採用した「Approach」といったモデルが個別に登場しており、これらはまだ統一されたブランドとしてまとめられる前の、散発的なプロジェクトの段階でした。
もうひとつの重要な背景が、当時「The Stonemasters」と呼ばれた一群のロッククライマーたちの存在です。彼らは専用の登山靴ではなく、あえてNikeのランニングシューズを履いて岩を登るというスタイルを実践しており、この独自のサブカルチャーにNike社内が着目したことが、ACGという統合ラインの構想を後押ししたと語られています。
こうした流れを受けて、1989年にNike ACGは正式に発足しました。当時のプロダクトマーケティング担当バイスプレジデントだったトム・クラークのもとで、生涯を通じて山に登り続けてきたマウンテニアであるカーク・リチャードソンが中心となってチームを率い、ビーバートンとエクセターの拠点でブランドの方向性が練り上げられたと、Nike自身が公式に振り返っています。リチャードソンが掲げた「Light is right, less is more(軽さこそが正義であり、少ないほど豊かである)」「Functional minimalism(機能的なミニマリズム)」という考え方は、クライマーたちが本能的に理解している価値観そのものであり、その後何十年にもわたってACGの核となるデザイン哲学として受け継がれていくことになります。
正式ローンチの前年にあたる1988年には、「Air Pegasus ACG」という全地形対応のトレーナーが発表されており、これはNikeの公式アーカイブ紹介でも「ACG」という名称が初めて使われたプロダクトとして位置づけられています。つま先にラバー製のガードを追加し、アッパーの布地部分を防水性のある合成皮革に置き換えたこのモデルは、翌年の本格ローンチに向けた助走のような一足だったといえるでしょう。
1989年秋に発表された最初のACGコレクションは、フットウェアの「Air Wildwood」と「Lava High(Son of Lava Dome)」を軸に、GORE-TEXとフリース素材を使ったアウター「Huascaran」ジャケットや「Mount St. Helens」ジャケット、「Kilimanjaro Anorak K2」といったアパレル群で構成されていました。開発チームにはのちにNikeの象徴的なデザイナーとなるTinker Hatfieldに加え、Toren OrzeckやPeter Foggといった人材も名を連ねており、最初のカタログ撮影はクライマーの聖地として知られる米国ユタ州モアブのキャッスルトン・タワーで行われたと記録されています。ブランドの原点が、実際の山岳環境と地続きのところにあったことがうかがえるエピソードです。
初期の代表作 — Air MowabbとTinker Hatfieldのデザイン哲学
Nike ACGの初期を象徴する一足として今も語り継がれているのが、1991年に登場した「Air Mowabb」です。デザインを手がけたのは、建築を学んだ経歴を持つ異色のスニーカーデザイナー、Tinker Hatfieldでした。Hatfield自身がクライミングやハイキング、マウンテンバイクの拠点としていた米国ユタ州モアブの街から着想を得て、あえて発音を変えた「Mowabb」という名前を与えたと伝えられています。デザインの根底には、地面をなるべく傷めない履物としてのネイティブ・アメリカンのモカシンを、クロストレーニング用のスニーカーへと翻訳するという発想があり、既存モデルの「Wildwood」と「Air Huarache」を掛け合わせたようなハイブリッド構造に、モカシン的な柔らかさと山岳地帯を思わせる無骨さが同居しているのが特徴です。Air Mowabbは、Nike Airのクッショニング技術を採用した最初期のハイキングシューズのひとつでもあり、のちにACGの代名詞となる斑点模様のミッドソールを最初に採用したモデルのひとつとしても紹介されています。
Air Mowabbに続く形で、1990年代を通じてNike ACGはハイブリッド型のアウトドアスニーカーとレイヤードアパレルの両面で意欲的なプロダクトを送り出していきました。1996年ごろにはGORE-TEXに比べて価格を抑えられる自社開発の防水透湿素材「Storm-FIT」が導入され、より幅広い価格帯の製品にアウトドア性能を組み込めるようになります。1997年前後からは、二つの三角形が肺のような形を描くロゴが使われるようになった時期があり、コレクターのあいだではこの時代を指して「Lungs(ラングス)期」と呼ぶこともあります。この時期にはPeter Foggが手がけたトレイルランニングシューズ「Air Humara」なども登場し、山岳専門店だけでなくスニーカー専門のメディアでも折に触れて紹介される存在になっていきました。
2000年代に入ると、Nike ACGは以前ほど新作のペースを目立たせなくなり、ブランドとしての露出はやや落ち着いた時期を迎えます。それでも「ACG」というロゴと、Hatfieldたちが築いた機能的ミニマリズムの哲学そのものは維持され続け、後年になって再評価される土台がこの時期にも静かに積み重ねられていました。
Errolson HughとNikeLab ACG期 — テックウェアとしての再定義
Nike ACGの歴史における最大の転換点のひとつが、2014年に始まる「NikeLab ACG」の展開です。Nikeは、テクニカルウェアの世界で独自の地位を築いていたブランド、ACRONYM(アクロニウム)の創業者であるErrolson Hughをリードコンセプトデザイナーとして起用し、ACGの再構築を託しました。Errolson Hughは1971年にカナダ・アルバータ州エドモントンで生まれたデザイナーで、1994年ごろにドイツ・ミュンヘンで共同創業したACRONYMを通じて、「テクニカル・アーバン・ウェア」と呼ばれる独自の領域を切り拓いてきた、この分野の先駆者のひとりです。
Hughが手がけたNikeLab ACGは、それまでのカラフルで山岳趣味色の強いデザインとは対照的に、全身を黒で統一し、縫い目を防水テープで完全に処理した、都市生活を前提とするテックウェアとしてのアウトドアを打ち出しました。海外メディアのインタビューでは、この時代のACGの空気感を「オール・ブラックで、GORE-TEXを多用し、縫い目はすべてテープ処理された、都市を移動するニンジャのような雰囲気」と形容する声もあり、山岳環境の機能性を都市の日常着へと翻訳するという、Hughならではのデザイン文法が色濃く反映されていました。本格的な山岳ウェアの防水性や軽量性、耐久性を保ちながら、着る人の動線そのものをデザインするという姿勢は、業界内からも高く評価され、NikeLab ACGはNikeが外部の前衛デザイナーを正式に起用した初期の成功例のひとつとして位置づけられています。
Hughによるこの協業は、2018年7月に幕を閉じることが発表され、同年のホリデーコレクションをもってひとつの区切りを迎えました。約4年間続いたこの技術重視の方向性は、Nike ACGというラインに新しい支持層をもたらす一方で、当初の山岳ブランドとしての性格からは大きく離れる時期でもあったといえます。
アウトドア回帰後の現在 — ヘリテージへの揺り戻しと2026年の再起動
Errolson Hughの退任後、Nike ACGのクリエイティブディレクションは、Nike SBで「What The」シリーズのダンクやStefan Janoskiのシグネチャーモデルなどを手がけてきたデザイナー、James Arizumi(ジェームズ・アリズミ)へと引き継がれました。Arizumiは2018年末からACGとNike SBの双方でシニア・ブランド・クリエイティブ・ディレクターを務め、都市の若者たちを再び山や自然のなかへ連れ出すことをテーマに、ブランドを本来のアウトドア路線へと揺り戻していきます。この方針のもとで、2018年には「Okwahn II」や「Air Revaderchi」が、2019年には初代「Wildwood」が復刻され、90年代のシルエットが次々と現代の店頭に戻ってきました。なお、Arizumiは2021年7月以降Jordan Brand側の特別プロジェクト担当ディレクターへと軸足を移したと報じられており、その後のACGの体制については継続的な追跡ができていないため、本記事では2018年から2021年ごろにかけての功績として扱っています。
2020年のホリデーコレクションでは、ACGデザインディレクターのNur Abbas(ヌール・アッバス)が中心となり、米国オレゴン州のスミス・ロックへチームで足を運び、岩肌の色合いをスケッチしたり、岩を擦って写し取ったりする作業を通じてデザインのインスピレーションを得たことが紹介されています。同時にNikeの環境施策「Move to Zero」を意識し、パレット内のすべての素材をリサイクル可能なバージョンに置き換えられないか見直す取り組みも行われました。Abbasは、1989年当時のACGスタッフたちが「とにかく最高のギアを作って人々を外へ連れ出したかった」という姿勢を大切にしながら、懐かしさと新しさのバランスを取ることを目指したと語っています。
その後もNike ACGは、GORE-TEXを採用したトレイルシューズ「Mountain Fly」シリーズを中心に展開を続け、2022年以降は「Mountain Fly 2」がラインの主力モデルのひとつとなりました。2025年には初代Mountain Fly LowのGORE-TEX仕様が新しいカラーで復刻されるなど、90年代の資産と現行モデルを行き来する運用が続いています。そして2026年には、冒頭でも触れたACG Ultraflyをはじめとする新しいプロダクト群での再起動が図られており、専門性の高い新興アウトドアブランドと肩を並べる存在であり続けられるかが、ブランドにとっての現在の課題になっているようです。
もっとも、この2026年の再起動そのものに対する評価は一様ではありません。海外のランニング専門メディアの論評では、Nikeがオンライン上で打ち出しているビジュアルの世界観そのものは刷新され、大胆で遊び心のある表現になっていると評価しつつ、実際に発売されている製品のラインナップが、そのビジュアルほどの説得力をまだ伴っていないという厳しい指摘も見られます。「あらゆる気象条件」という言葉の懐の深さを、特定のスポーツに閉じない立ち位置としてどう活かしていくのかが、これからのNike ACGに問われている部分だといえそうです。
スタイリング・暮らしへの取り入れ方
Nike ACGのアイテムをスタイリングに取り入れるうえでの基本は、山岳ギアとしての機能美をそのまま活かすという考え方です。GORE-TEXやStorm-FIT素材のシェルジャケットは、装飾性の高いアイテムと合わせるよりも、無地のフリースやテクニカルなパンツと組み合わせ、素材そのものの光沢や質感を主役にするスタイリングがなじみます。90年代のハイブリッドスニーカーであるAir MowabbやAir Wildwoodのようなモデルは、テーパードのデニムやミリタリー由来のカーゴパンツと合わせることで、山岳ウェアが持つアウトドア然とした佇まいと、ストリートウェアらしいラフさの両方を引き出すことができます。
Errolson Hugh期のNikeLab ACGのように黒を基調とした縫い目テープ処理のアウターは、全身をモノトーンでまとめたミニマルなコーディネートに一枚投じるだけで、都市的なテックウェアらしい緊張感を加えてくれます。反対に、1990年代のオリジナルカラーのように鮮やかな配色を持つヴィンテージピースは、シンプルな無地のトップスやボトムスと合わせて、そのアイテム自体を主役に据える引き算のスタイリングが似合います。レイヤリングの基本である3層構造、すなわちベースレイヤー・ミッドレイヤー・シェルレイヤーという発想を意識して手持ちの服を組み合わせると、機能面でも見た目の面でも破綻しにくいコーディネートに落ち着きやすいはずです。
古着・二次流通市場での立ち位置
Nike ACGは、古着や中古市場においても独自の存在感を保ち続けているラインです。とりわけ人気が高いのは、袖に刺繍された三角形のACGロゴや、水や溶岩、氷河、洞窟の壁面といった自然環境をモチーフにしたグラフィックが目を引く1990年代のピースです。海外の古着メディアが紹介する記事のなかでも、こうした三角ロゴ入りのジャケットは真正性と資産価値の高さを示す記号として扱われることが多く、数十年前のデザインでありながら今のワードローブに置いてもまったく古さを感じさせないと評されています。
具体的な人気モデルとしては、Tinker Hatfield期のAir MowabbやAir Wildwoodに加えて、1990年代のシェルジャケット「Nike ACG 3 Outer Layer Jacket」、2009年発表のブーツとスニーカーのハイブリッドである「Air Magma」などが挙げられます。海外の古着専門メディアの紹介では、Air Magmaのように再販売されていないモデルは状態の良い個体が数百ドル規模の値をつけて取引されている例も紹介されており、Sotheby’sのようなオークションハウスがヴィンテージのAir Mowabbを扱う事例もあることから、単なる古着の枠を超えてコレクターズアイテムとして扱われている実情がうかがえます。反対に、正規に再販(リイシュー)されたことのないモデルほど、二次流通での相場が上がりやすい傾向も見て取れます。
中古で購入を検討する場合は、年代によってタグの意匠や生産国表記が異なる点に注意が必要です。1990年代のオリジナルとErrolson Hugh期以降の復刻や新作とでは、素材のディテールやシルエットのバランスがまったく異なるため、写真だけで判断せず、リブや裾のロゴ位置、ステッチの処理などを丁寧に見比べることをおすすめします。特にGORE-TEXやStorm-FITといった防水素材のアイテムは、経年で内側のシームテープが剥がれたり浮いたりしていることがあるため、裏地側のテープの状態まで写真で確認できる出品を選ぶと、購入後の後悔を減らせます。日本国内では、セレクトショップのBEAMSがNike ACGの取扱店のひとつとなっており、過去にはNike ACG初となるキャンプイベント「ACG NIGHT CAMP」を国内で後押しするなど、ブランドとの接点を継続的に持ってきた経緯があります。こうした正規流通の厚みもあって、Nike ACGは国内のフリマアプリや古着店の店頭でも比較的見かけやすいブランドのひとつになっています。実際に手に取れる機会があるなら、素材の厚みや縫製の丁寧さを直接確認したうえで検討するとよいでしょう。
ヴィンテージのACGを探す際は、楽天市場でNike ACGを探すや、Nike ACGのフリースを探すから始めると、現行モデルと並んでヴィンテージに近い雰囲気のアイテムに出会えることがあります。ミッドレイヤーやアウターだけを重点的に見たい場合はNike ACGのジャケットを探すが探しやすく、現行の技術的なシルエットに関心がある場合はNike ACGのマウンテンフライを探すから現行のトレイルシューズ展開を確認してみるのも参考になります。
まとめ — 山と都市のあいだを往復してきたラインとして見る
Nike ACGは、1989年にカーク・リチャードソンが率いたチームが「Light is right, less is more」という哲学を掲げて生み出した、山岳ギアとしてのラインでした。Tinker Hatfieldによる Air Mowabbのような1990年代の名作を経て、2014年からのErrolson Hugh期にはテックウェアとして都市の文脈へと大きく振れ、2018年以降はJames ArizumiやNur Abbasといった後任のディレクターたちのもとで、再びアウトドアという原点への回帰を模索してきました。そして2026年の現在は、専門性の高い新興ブランドと肩を並べながら、次の展開を探っている最中にあります。
山岳向けの機能性と都市向けのスタイルという、一見両立しづらい二つの軸のあいだを、1989年の発足から三十数年にわたって何度も行き来してきたことこそが、Nike ACGというラインの本質だといえるでしょう。古着として1990年代の三角ロゴ入りジャケットに出会うことも、現行のMountain FlyシリーズやACG Ultraflyのような最新モデルに触れることも、どちらも同じひとつの系譜のなかにある体験です。今回整理した歴史を手がかりに、自分の暮らし方に合ったNike ACGとの付き合い方を見つけてもらえたらと思います。










