香水を「美しいもの」だと信じ込んでいる人ほど、Comme des Garcons Parfums の最初の一吹きで足場を崩される。川久保玲が築いてきたアンチ・モードの思想は、香りのなかでも矛盾と緊張を抱えたまま立ち上がる。甘さに媚びず、清潔感に寄りかからず、それでいて街の喧騒や寺院の煙、コンクリートの粉塵までも一本に閉じ込めてしまう。心地よさを求める鼻には鋭利すぎて、慣れた頃には他のメゾンの香りが急に物足りなく感じる——そんな依存性を孕んだフレグランス群について、編集部の視点で読み解いていく。
Comme des Garcons と Rei Kawakubo の思想
Comme des Garcons は 1969 年に川久保玲によって設立され、1973 年に法人化、1981 年のパリコレデビューで「黒の衝撃」と呼ばれる地殻変動を起こした。穴の開いたニット、左右非対称のパターン、身体の輪郭を歪めるパッディング——彼女が提示してきたのは「服とは何か」という問いそのものであり、既存の美意識を一度疑う作法だった。日本人デザイナーとしてヨーロッパのモード界に切り込んだ存在として、山本耀司や三宅一生と並びながらも、川久保はとりわけ言語化を拒むタイプの作家である。
彼女が繰り返し語ってきたのは「新しいものをつくる」という単純で過酷な命題で、これは香水部門にもそのまま接続している。広告ビジュアルにスーパーモデルを並べず、商品名で香りを描写せず、ボトルすら工業製品のような無表情さで突き放す。Comme des Garcons の香りが「香水らしくない」と評されるのは、最初から香水カテゴリーの常識を踏襲する気がないからだ。ジェンダーレス・ファッションの系譜を辿るうえでも、彼女のメンズ・ウィメンズの境界を曖昧にする手つきは欠かせない参照点になっている。
ブランドは「Comme des Garcons」というレーベル名のほかに、PLAY や HOMME PLUS、Junya Watanabe、tao、noir kei ninomiya などの派生レーベルを抱え、Dover Street Market という流通装置まで自前で構築してきた。香水もこの巨大な思想体系の一部であり、ファッション本体と切り離された「サブ」ではない。むしろアバンギャルドの精神を、衣服より手軽に・小さく・濃く凝縮した媒体として機能している。
多くのメゾンが香水をライセンス契約で外部に丸投げするなかで、Comme des Garcons は早い段階から自社の美学を貫けるパートナーシップにこだわってきた。香りに与えられるネーミングも「2」「Black」「Concrete」のように、抽象度の高い記号的な言葉が選ばれる。これは商品を説明することを拒みながら、嗅ぐ側の解釈を開いておく仕掛けでもある。
彼女が繰り返し語ってきたのは「新しいものをつくる」という単純で過酷な命題で、これは香水部門にもそのまま接続している。
香水部門の歴史 — 1994 年の始動と Mark Buxton たちの仕事
Comme des Garcons の香水部門は 1994 年、初代となる「Comme des Garcons Eau de Parfum」(通称 EDP、後に「Original」と呼ばれる)の発表から本格的に始動した。クリエイティブ・パフューマーとして名を連ねたのは Mark Buxton。当時の彼はまだ無名に近い若手で、ローズ、シナモン、インセンス、サンダルウッドを組み合わせ、フローラルでも東洋でもない中性的な「儀式の香り」を提示した。商業香水が CK One に代表されるユニセックス・フレッシュへ傾いた時代に、まったく逆方向のスパイスとレジンを選んだことが、Comme des Garcons の香水としての立ち位置を決定づけた。
翌 1995 年からは「Series」と冠したシリーズ展開が始まる。Series 1: Leaves、Series 2: Red、Series 3: Incense、Series 4: Cologne、Series 5: Sherbet、Series 6: Synthetic、Series 7: Sweet、Series 8: Energy C ——番号と概念をペアにしたコンセプチュアルな枠組みは、香水界では極めて異例だった。リーフ系の Series 1 では葉や草、苔をテーマに据え、Series 6 ではあえて合成香料の人工性を主役に据えるなど、毎回テーマ自体が挑発になっている。
Series シリーズには Mark Buxton のほか、Bertrand Duchaufour、Antoine Maisondieu、Jean-Claude Ellena、Christine Nagel、Christian Astuguevieille といった調香界の実力者たちが関わった。とりわけ Astuguevieille はクリエイティブ・ディレクター的なポジションで長くブランドに寄り添い、香水のコンセプト設計に深く関与している。商業的なヒット曲を狙うチームというより、現代アートのキュレーションに近い座組みで、香りそのものをコンセプトの試験管に閉じ込めていく。
2000 年代に入ると、コラボレーション・シリーズが加速する。Stephen Jones、Daphne Guinness、H&M、Monocle、Trading Museum、Aoiro、Maison Margiela とのプロジェクトもあった——というのは記憶違いで、Margiela は別案件だが、いずれにせよジャンルを跨いだ協業が日常化していった。ホテルや美術館、書店向けにフルカスタムの香りを設計する動きも増え、香水を「世界観の触媒」として扱う姿勢が明確になる。
2010 年代以降は、デザイナーやアーティストとの一回性プロジェクトに加えて、「Concrete」「Floriental」「Mirror」など単発のフルボトル作品が増えた。Series で築いた語彙を素地にしながら、より強い物質感を持つ香りへと進化していった印象がある。シグネチャー・センツ選びの考え方を整理する際にも、Comme des Garcons の作品群は「軸を一本に絞らない人のための選択肢」として参照価値が高い。
代表作 — 2 / Wonderwood / Black
1999 年に登場した「2」は、Comme des Garcons 香水の代名詞と呼ばれる一本である。調香は Mark Buxton。インク、アンバー、フランキンセンス、シダーをコアに据えながら、トップには魔法のような乾いた金属感が漂う。発表当時は「鉛筆の削りかすと書道の墨が混じった香り」と評され、その比喩自体が今もそのまま通用するほど独特な造形を保っている。同時期にリリースされた「2 Man」は、より乾いたウッディに振り切った姉妹作で、こちらも長く愛されている。
2010 年の「Wonderwood」は、ウッディ香水の概念そのものを更新した作品である。調香は Antoine Maisondieu。サンダルウッド、ガイアックウッド、シダー、オウド、ベチバーなど 10 種類以上の木質ノートを多層に重ね、「ウッディ・オーバードース」という言葉が定着するきっかけになった。残り香では木の幹を斧で割った瞬間の生々しさが残り、肌に乗せると湿った樹液のニュアンスまで現れる。木の香りを単なる安心感のために使ってきたメインストリーム香水へのカウンターとして、強烈な印象を残した一本だ。
2008 年の「Black」は、漆黒のミニマルなボトルそのままに、ピッチタールやバーチタール、ピンクペッパー、インセンス、ラバーといった暗色のノートを束ねている。ガソリンスタンドや古いタイヤを連想させるスモーキーさが特徴で、メゾン香水のなかでも「煙くて美しい」という形容が成立する稀な作品である。Black は後年「BLACKpepper」など派生にも発展し、Comme des Garcons がブラックという色名に込めた哲学を香りで反復してきた。
インセンス・シリーズ — Avignon と聖性の翻訳
2002 年に発表された Series 3: Incense は、Comme des Garcons の香水世界のなかでも特異な位置を占める。Avignon、Jaisalmer、Kyoto、Ouarzazate、Zagorsk の 5 本構成で、それぞれカトリック、ヒンドゥー、禅、スーフィー、ロシア正教の宗教空間を香りで翻訳することを試みた。観光的なエキゾチズムを避けるために、宗教学的なリサーチが下敷きにあり、調香チームには Bertrand Duchaufour と Mark Buxton が中心的に関与した。
なかでも Avignon は、フランス・アヴィニョン教皇庁を着想源に据え、ローマンカモミール、フランキンセンス、ミルラ、エレミ、シダーをガッチリ組んだ祈祷の香りだ。Bertrand Duchaufour の代表作のひとつであり、教会の冷たい石壁とミサの煙、蝋燭の蜜蝋までも丁寧に描き分けている。トップの一瞬で「ここはどこかの礼拝堂だ」と思わせるリアリティがあり、香水という枠を超えて空間そのものを身に纏う体験になる。
Kyoto は禅寺、Jaisalmer はインドの砂漠都市の寺院、Zagorsk はロシアの修道院、Ouarzazate はモロッコのスーフィー儀礼を題材にしており、5 本セットで購入する熱心なコレクターも多い。インセンスを単なる「お香系ノート」として消費するのではなく、文化と歴史への入口として再定義した点で、Series 3 は Nasomatto のような尖ったニッチ系メゾンにも影響を与えたと言える。
限定 / コンセプト作 — Concrete と Floriental
2017 年に発表された「Concrete」は、コンクリートのテクスチャと粉塵、湿った石材の匂いを骨格に据えた異色作である。アルデヒドの鋭さ、ピンクペッパーのスパイス、ベチバーとモスのアーシーな後味が、まさに建材の倉庫を歩いているような臨場感を生む。ボトル自体もブロックのような造形で、ファッションのアバンギャルドだけでなく、建築や現代アートとの接続を意識した一本だ。シティライフのざらつきを纏いたい人には、香水の選択肢として真っ先に挙げたい。
2018 年の「Floriental」は、タイトルこそフローラル・オリエンタルを示唆するが、実体は花束ではなく「花を焚いた灰」のような香水だ。チュベローズ、サフラン、ガイアックウッド、ベンゾインを軸に、甘さとスモーキーさが拮抗する複雑な構造を持つ。Comme des Garcons がフローラルというカテゴリーを扱うときの捻れがよくわかる作例で、可憐さや清潔感ではなく、官能と退廃を選び取る判断が一貫している。
これらの単発作は、限定生産や直営店中心の流通になることも多く、入手難度が時期によって大きく変動する。中古市場・並行輸入・直営オンラインを横断しながら見守るのが現実的で、価格が落ち着いた時期に複数本まとめて確保しておくコレクターも少なくない。
編集部の見立て
Comme des Garcons Parfums の魅力は、メインストリームの香水文法を裏返したところに常に立っていることだ。万人受けする美しさではなく、ある瞬間に強く誰かの記憶を刺すための香り——そのスタンスは 1994 年から一貫している。最初の一本に迷うなら、ブランドの DNA が最も濃い「2」か、メンズ・ウィメンズの境界を曖昧にする「Wonderwood」を編集部としては推したい。インセンス系に惹かれる人は Avignon から入ると、その後の香水観そのものが書き換わる可能性がある。
ヘビーユーザー向けに付け加えるなら、Comme des Garcons は同じテーマを年を跨いで反復する作家性が強く、Black 系の派生や Series の再解釈版が定期的にリリースされる。一度好きになった人ほど、限定や直営限定の単発作を追いかける旅が長く続く。香水を装飾品ではなく思想の延長として扱いたい人にこそ、川久保玲が育ててきたこの香水部門の世界は届くはずだ。出会った一本を肌に乗せ、自分のなかでどんな違和感や記憶を呼び起こすかを観察すること——それこそが、このメゾンの香りを楽しむ最良の作法である。










