韓国ソウルから始まるブランドの背景
Andersson Bell は 2014 年にソウルで産声を上げました。創業者は韓国人デザイナーの Dohun Kim (김도훈) で、ブランドは現在も FifthLab (5th Lab) という韓国のファッション持株会社の傘下で運営されています。
2010 年代前半のソウルのファッションシーンは、KENZO の Humberto Leon と Carol Lim 期の波に乗った Asian-American アイデンティティの再評価、Yoon Ahn (Ambush) と Verbal の活躍、そして K-Pop 第二世代の世界進出が同時並行で進む活況の時期でした。Andersson Bell はその文脈の中で、敢えてアジア的アイデンティティを前面に出さず、Scandinavian のミニマリズムを志向する独自の立ち位置から始まりました。
重ためのざっくり編みニットは手仕上げによる独特の風合いが魅力で、デニムやアウターまで幅広いカテゴリを比較的手頃な価格帯で展開しています。北欧とアジアの意匠を横断する分だけ好みが分かれやすく、編み目の粗さゆえサイズ感は事前確認が安心です。
北欧とアジアの意匠を横断する分だけ好みが分かれやすく、編み目の粗さゆえサイズ感は事前確認が安心です。
ブランド名「Andersson Bell」 の由来
ブランド名「Andersson Bell」 は、Scandinavian (特にスウェーデンとノルウェー) で広く見られる姓「Andersson」 と、英語圏で普遍的な響きを持つ「Bell」 を組み合わせた造語です。Dohun Kim はインタビューで、「韓国出身であることを誇りに思いつつ、ブランドの世界観そのものはアジア固有の枠組みを超えたい」 と説明しています。
「Andersson」 にはスカンジナビアのミニマリズムと労働者文化への敬意が、「Bell」 には英語圏の汎用的な記号性が、それぞれ含意されており、二つを並べることで「東洋と西洋、伝統と現代を等価に扱う」 ブランド姿勢を表明しています。
クリエイティブの中核と Scandinavian の参照源
Andersson Bell のクリエイティブの中核は、Dohun Kim 個人ではなく、ソウル本社の小規模なデザインチームによる共同制作です。Kim は方向性と最終決定を担い、コレクションの細部はチーム全員で詰める方式を採用しています。
参照源として継続的に登場するのは、1970 年代スウェーデンの労働運動期のワークウェア、ノルウェーとデンマークの古典的なフィッシャーマンニット、北欧の家庭で使われていた手編みのウールセーター、そしてベルギーとオランダの実験的なテーラリング (Maison Margiela、Dries Van Noten の系譜) です。
2017 年から 2019 年の国際展開期
Andersson Bell の国際展開は 2017 年から本格化しました。同年に Paris Men’s Fashion Week のオフカレンダーで初の海外プレゼンテーションを実施し、欧州のセレクトショップ各社からの引き合いを得ました。
2018 年から 2019 年にかけては、SSENSE (カナダ)、MATCHESFASHION (英国)、Net-a-Porter (英国)、Selfridges (ロンドン)、Browns (ロンドン)、Dover Street Market (グローバル) などの主要 EC とセレクトショップに取扱が拡大し、ソウル発の独立系ブランドとしては短期間で国際的なプレゼンスを確立しました。
K-Pop と K-Drama 着用者の影響
Andersson Bell のブランド認知を世界的に押し上げた決定的な要素は、韓国エンタテインメント業界の主要スターによる継続的な着用です。
俳優の Park Hyung-sik (パク・ヒョンシク、元 ZE:A のメンバー、後に俳優として「ヒョガ最終回」 「ストロング・ガール・ナムスン」 等で活躍) は、自身の SNS 投稿と公の場での着用を通じて、Andersson Bell の象徴的な広告塔として機能してきました。
BLACKPINK の Jisoo、Rosé、Jennie、Lisa の四人も、私服での着用や、ライブツアー前後の空港ファッションで Andersson Bell を選ぶ事例が定期的に観察されます。これらの着用は K-Pop ファンを通じて世界中に拡散し、ブランドの認知を加速させました。
代表アイテム「Heavy Loose Knit」
Andersson Bell の代表アイテムは「Heavy Loose Knit」 と呼ばれる重ためのざっくり編みニットセーターです。ノルウェーとデンマークの古典的フィッシャーマンニットを下敷きにしつつ、編み目を意図的に粗くし、毛羽立ちのある独特の質感を生み出しています。
ウールはニュージーランド産のメリノとイタリア Biella の混紡で、ソウル郊外の家族経営工場で編まれます。一着の編み上げに 14 時間から 18 時間を要し、機械編みと手仕上げを組み合わせた半工芸的な生産体制が、独特の風合いを生む鍵となっています。
編み目を粗くした風合いが特徴の厚手ニットで、手仕上げを交えた作りによる独特の質感が際立ちます。ボリュームのある編み立てのため蒸れやすく、暖かい時期の着用には不向きな一着です。
デニムとアウター、定番カテゴリの展開
Andersson Bell はニット以外にも、デニム、ワークウェア、アウター、シャツ、スカートと幅広いカテゴリを展開しています。デニムは韓国国内の工場で生産され、日本産ジャパニーズデニム生地と米国 Cone Mills のデッドストック生地を素材に使う独自の調達体制を取っています。
アウターは Reversible Coat (片面はクラシックなウールメルトン、もう片面はヴィンテージ風プリント) が定番で、コーチジャケットの再解釈、そして 1970 年代の Scandinavian ワークコートを参照したロングアウターが看板アイテムです。
表裏で異なる表情を楽しめるリバーシブル仕立てのコートで、一着で二通りの着こなしができる汎用性の高さが魅力です。ワークウェアを参照した無骨なデザインは、きれいめな装いに合わせるにはやや不釣り合いに感じられることもあります。
サブライン「Andersson Bell Woman」 と展開拡大
2020 年から「Andersson Bell Woman」 というレディースライン強化サブカテゴリを稼働させました。当初はメンズコレクションのオーバーサイズアイテムを共通で扱う方針でしたが、2020 年以降は明示的にレディース向けのシルエットとサイズ展開を独立させ、女性顧客への直接訴求を強化しています。
ソウル江南地区の直営フラッグシップ店、明洞地区の旗艦店、そして釜山支店を順次展開し、2024 年には東京・原宿に日本初のフラッグシップを開業しました。
サステナビリティと工場との関係
Andersson Bell は素材調達と生産工場との長期的な関係維持を重視しています。ニット工場はソウル郊外の家族経営工房と、デニム工場は釜山の中規模工場と、それぞれ 10 年近い継続契約を維持しています。
素材は、ニュージーランドのメリノウール、イタリア Biella の混紡素材、日本岡山のデニム、韓国国内の独自開発合成素材を組み合わせ、シーズンごとに 70 パーセント以上を継続使用素材として再投入する循環的な調達方針を採用しています。
ヴィンテージ古着市場での Andersson Bell の見方
Andersson Bell は中古市場で安定した流通量を持ち、特に Heavy Loose Knit と Reversible Coat はコレクター層の継続的な需要があります。中古価格帯は、Heavy Loose Knit が 18,000 円から 45,000 円台、Reversible Coat が 35,000 円から 90,000 円台、デニムジャケットが 15,000 円から 35,000 円台、シャツとカットソーが 8,000 円から 25,000 円台で取引される事例が観察されます。
タグは「Made in Korea」 が標準で、サイズ表記は韓国式 (90、95、100、105、110) と国際式 (XS から XL) が混在します。Heavy Loose Knit はざっくりした編み目のためサイズ選びに迷いやすいですが、概ね表記通りのサイズで問題ありません。リバーシブルコートはサイズ表記より 1 段大きめのフィット感が一般的です。
同時代の韓国独立系ブランドとの位置づけ
同時代で並べやすい韓国独立系ブランドは、Pushbutton (Seung Gun Park、2003 年創業)、Hyein Seo (2015 年創業、Central Saint Martins 出身)、Heich Es Heich (2014 年創業、ソウル拠点)、Wooyoungmi (1989 年創業、Wooyoung Mi)、Juun.J (1999 年創業、Jung-Jae Park)、そして Ader Error (2014 年創業、ソウル拠点) です。
これらと並べたときの Andersson Bell の独自性は、「Korean」 を前面に出さず、Scandinavian の意匠を看板に掲げる逆向きのブランディング戦略にあります。アジア出身のブランドが必ずしも「アジア性」 を表明する必要はないという立場を貫いた結果、欧米と日本の顧客に対して国籍を意識させない自然な接近を実現しました。これは 2010 年代後半以降の K-Pop と K-Drama の世界的躍進と並行して、韓国発文化の輸出戦略の一つの完成形として位置づけられます。










