Marina Yee(マリーナ・イー)は、ベルギー出身のデザイナーで、1986年にロンドンで衝撃的な集団デビューを果たした「Antwerp Six」の一員として知られています。旧版の記事は、Marina Yeeが1980年代後半に「MY」名義のブランドを興し、1990年代後半に事業を休止したのち、2010年代後半に「MARINA YEE」名義でリバイバルし、2026年現在も国際的な評価を再獲得し続けているという構成で紹介していました。しかし複数の海外メディアの訃報記事を確認したところ、Marina Yeeは2025年11月1日、がんとの闘病の末に67歳で亡くなっており、旧版の記事が前提としていた「現在も活動を続けるデザイナー」という設定そのものが、すでに事実と異なっていることが分かりました。あわせて、初期に興したブランドの正式名称、事業を離れていた期間の具体的な活動内容、教職に就いていた学校名についても、旧版の記述とは食い違う点が複数見つかっています。本稿では、こうした点を一次情報で確認し直しながら、Marina Yeeという作り手の歩みをあらためて整理します。
創業経緯とAntwerp Sixという集団デビュー
Marina Yeeは1958年、ベルギーで生まれました。出身地の詳細については資料によって表記に幅があり、本稿では断定を避けますが、生まれ年が1958年であることは複数の資料で一致しています。ベルギー・リンブルフ州のSint-Lucas系の美術学校で学び始めたのち、ベルギー・アントワープのRoyal Academy of Fine Artsに進み、1981年に同校を卒業しました。同じ時期にこの学校で学んでいた同級生・後輩の顔ぶれこそが、のちに「Antwerp Six」と呼ばれることになる面々です。
当時のRoyal Academy of Fine Arts Antwerpのファッション学科は、1963年にMary Prijotが立ち上げた教育機関で、パリの伝統的な技法に基づいた厳格な縫製指導で知られていました。Prijotは1982年に退任していますが、Marina Yeeを含む後の「Antwerp Six」の面々は、このPrijot体制下で学んだ世代にあたります。旧版の記事に付随する記録には、Marina Yeeの師としてLinda Loppaの名前が挙げられていましたが、Loppaがファッション学科を主導するようになったのはPrijotの退任後のことであり、Marina Yeeの在学期間の指導者として複数の資料で名前が挙がるのはMary Prijotです。本稿ではこの点を訂正しています。
卒業後、Marina Yeeはまずベルギー国内のブランドBassettiなどで経験を積みました。1982年には新進デザイナーの登竜門とされたベルギーのコンテスト「Gouden Spinrok(ゴールデン・スピンドル)」に出品し、1984年にはセレクトショップSTIJLの創業者Sonja Noëlの目に留まり、試作段階の作品をSTIJLで扱ってもらう機会を得たと伝えられています。そして1986年、自身のブランド「Marie」を興し、同じ年にロンドン・ケンジントンのOlympiaで開催された見本市「British Designer Show」への出展に踏み切りました。この出展こそが、Marina Yeeの経歴における最大の転機となりました。
「Marie」を含む6人のベルギー出身デザイナーが、ワゴン車に自分たちのコレクションを積み込んでロンドンまで乗り付け、British Designer Showの会場で発表したというこの出来事は、Ann Demeulemeester、Dries Van Noten、Walter Van Beirendonck、Dirk Bikkembergs、Dirk Van Saene、そしてMarina Yeeという6人の名前を、英語圏の発音のしにくさもあってひとまとめに「Antwerp Six」と呼ぶ慣習を生みました。この呼び名が業界内に定着していったのは1986年の出展から数年を経てからだと伝えられていますが、出展そのものがベルギー服飾を欧米の主要な舞台に押し上げる歴史的な出来事になったという評価は、複数の海外メディアで共通しています。旧版の記事は、この出展を「1986年3月」の出来事として日付まで特定していましたが、月まで踏み込んだ日付を裏付ける一次情報は確認できなかったため、本稿では年のみの表記にとどめています。なお、のちにMartin Margielaもベルギー出身デザイナーとして国際的な評価を得ていますが、1986年のBritish Designer Showへの出展メンバーには含まれておらず、Antwerp Sixの正式な6人には数えられていません。
British Designer Showでの出展当時、ベルギーの服飾はパリやミラノ、ロンドンと比べて国際的な認知の乏しい周辺地域とみなされていました。6人のデザイナーが自費でワゴン車をロンドンまで走らせ、間借りした小さなブースで発表するという手作り感の強い出展方法自体が、当時の欧州服飾業界では異例だったと伝えられています。この出展が結果的に欧米の業界誌の注目を集め、ベルギーという国の服飾教育そのものへの評価を高めるきっかけになったという点では、Marina Yeeを含む6人全員の功績として位置づけられています。
同じ時期にこの学校で学んでいた同級生・後輩の顔ぶれこそが、のちに「Antwerp Six」と呼ばれることになる面々です。
ブランド美学 — 寡黙な反骨と素材への信頼
Marina Yeeを紹介する記事の多くが繰り返し使う言葉が「エニグマ(謎めいた存在)」「エルーシブ(捉えどころのない)」というものです。Antwerp Sixの他のメンバーが国際的なブランドへと事業を成長させていったのに対し、Marina Yee自身は一貫して表舞台から距離を置く姿勢を貫いてきました。2025年に公開された英語圏のインタビュー記事のなかで、本人は自らを「Einzelgänger(単独行動を好む人)」と表現し、Antwerp Sixの他のメンバーと密接な関係を保ち続けているわけではないこと、SNSや派手な露出を意図的に避けてきたことを語っています。
デザインの方向性としては、一つの要素だけを際立たせるために装飾を切り詰める、削ぎ落とされたシンプルさを志向してきたとされています。過剰なシルエットの主張よりも、素材そのものの扱い方や、控えめなウィットと反骨精神を服の細部に忍ばせる作り方を好んできたと、本人の言葉から読み取ることができます。旧版の記事にあった「創業時からサステナビリティを軸に据えていた」という趣旨の記述については、初期の「Marie」がどちらかといえば商業的な性格の強いラインだったと伝えられていることを踏まえると、そのまま採用するのは難しいと判断しました。素材の再利用を前面に押し出す姿勢が明確になったのは、後述するとおり長い沈黙の期間を経たのちのことです。
事業からの離脱と、長い沈黙の期間
1986年のロンドン出展のあと、Marina Yeeは「Marie」の名義でしばらく発表を続けましたが、1990年前後にはブランドとしての商業的な発表そのものをやめています。ちょうど波に乗り始めていた時期に事業を止めたという経緯から、Marina Yeeは「Antwerp Sixのなかでもっとも謎めいたメンバー」と評されるようになりました。なお、Antwerp Sixという集団そのものから離れた正確な時期については資料によって記載に幅があり、本稿では断定を避けています。
事業を離れたのちのMarina Yeeは、ファッションの表舞台から退いたものの、創作活動そのものを止めていたわけではありません。1992年にはブリュッセルのマロール地区で小さなカフェ「Indigo」を営みはじめ、舞台衣装の制作にも携わっていたと伝えられています。教育の分野にも足を踏み入れ、ゲントのKASK(王立美術アカデミー・ゲント)、ハーグのKABK、トゥルネーのESA Saint-Luc de Tournaiといった美術学校で教壇に立ちました。旧版の記事および付随する記録には、Marina Yeeが「Royal Academy of Fine Arts Antwerpで約20年間教鞭を執り、Demna GvasaliaやGlenn Martensを育てた」という趣旨の記述がありましたが、複数の資料を確認したかぎり、Marina Yeeの教職先はゲント・ハーグ・トゥルネーの各校であり、母校であるアントワープの同校で教えていたという記録も、特定の教え子の名前を挙げた記録も見当たりませんでした。本稿ではこの記述を採用していません。
この沈黙の期間にも、具体的な仕事の記録は残っています。1999年にはベルギーブランドLena Lenaの冬コレクションを手がけ、2000年から2002年にかけてはDirk Bikkembergsのウィメンズウェアのデザインを約3年間担当しました。Antwerp Sixの仲間であったBikkembergsのもとで裏方として腕を振るっていたという事実は、Marina Yeeが完全に業界から姿を消していたわけではなく、あくまで自身の名前を前面に出すことを避け続けていたことを示しています。この時期にはほかにも、インテリア用のテキスタイルラインや、香水の共同開発といった、衣服そのものにとどまらない仕事にも関わっていたと伝えられていますが、いずれも詳細な裏付けが限られているため、本稿では名前のみの紹介にとどめます。
2018年のリバイバルとサステナビリティへの転換
Marina Yeeが自身の名前を冠したコレクションで再び表舞台に戻ってきたのは2018年のことです。日本の東京で、5型ほどの小さなコレクション「M.Y. Project」を発表しました。この東京での再始動には、日本のコレクター夫妻(LAILA TOKIOのHideo Hasiura・Yukiko Hasiura夫妻)の支援があったと伝えられています。旧版の記事は、このリバイバルを「2017年、MARINA YEE名義での再始動」としていましたが、複数の一次情報を確認したかぎり、時期は2018年、ブランド名は「M.Y. Project」であり、いずれも旧版の記述とは異なっていました。
2021年には、ヴィンテージの古着やデッドストック素材を解体・再構築する「M.Y. Collection」という新たなカプセルコレクションを発表しています。このコレクションは、サステナビリティとクチュール的な仕立てを組み合わせた方向性で評価され、SSENSE、Farfetch、The Broken Armといった海外のセレクトショップでの取り扱いにもつながりました。本人はのちのインタビューで、完全な意味でのサステナビリティを実現することは「ほとんど不可能に近い」と認めつつ、自分の創作の範囲でできる持続可能な選択肢を模索し続けていると語っています。ヴィンテージデニムを手作業で裁断し、パッチワーク状に組み直してワンオフのボンバージャケットに仕立てるという手法も、このインタビューのなかで紹介されています。
2024年末には、ベルギーの業界団体が主催するBelgian Fashion Awardsで審査員賞を受賞しました。この受賞を機に、長年ほとんど表に出ることのなかったMarina Yeeの名前が、あらためて業界内外で話題にのぼるようになったと報じられています。あわせて教職からも退き、長年勤めた教育の現場からは離れたと伝えられています。2025年には、ブリュッセルのセレクトショップSTIJLの40周年を振り返る回顧展にも作品が展示されるなど、Antwerp Sixのなかでもっとも寡黙だったメンバーに、あらためて光が当たる年になりました。その数か月後、Marina Yeeは2025年11月1日に67歳で亡くなっています。
代表アイテムと意匠
Marina Yeeを象徴するアイテムは、大きく二つの時代に分かれます。一つは1986年前後、「Marie」時代のテイラリングです。Antwerp Sixとしての集団デビューを飾ったこの時期の作品は、ベルギー服飾の歴史的な節目を体現するものとして、ヴィンテージ市場でも資料的な価値を伴って参照されています。当時のコレクションは、パッチワークやグラフィックを取り入れた実験色の強い構成だったと伝えられており、のちの寡黙なイメージとは異なる、初期衝動のようなエネルギーが感じられる時期の作品群です。
もう一つは、2021年の「M.Y. Collection」以降に確立された、ヴィンテージ古着やデッドストック素材を解体して再構築する手法によるアイテムです。既存の衣類を裁断し、パッチワーク状に組み直したボンバージャケットや、生地の風合いを生かしたアウターなどが代表例として紹介されています。手作業による一点ものの色合いが強く、同じ型番であっても個体ごとに表情が異なるという点が、量産型のブランドとは一線を画す特徴です。旧版の記事にあった「リユースされたシャツやブラウス」といった具体的な品目の記述については、裏付けとなる一次情報が確認できなかったため、本稿では採用していません。
どんな人に似合うか
Marina Yeeが似合うのは、ブランドの知名度や派手なロゴよりも、作り手の個人史そのものに惹かれるタイプの人です。Antwerp Sixという有名な集団の一員でありながら、その後30年近くにわたって表舞台から距離を置き続けたという経歴は、それ自体がこのブランドの持つ物語性を形づくっています。1980年代のテイラリングを探すにせよ、2021年以降のアップサイクル作品を探すにせよ、量産品にはない一点ものの手仕事の跡を楽しめる人に向いています。
一方で、シーズンごとに大量のラインナップが更新されるブランドを好む人にとっては、Marina Yeeの寡作ぶりはやや物足りなく映るかもしれません。作品数そのものが少なく、市場に出回る個体も限られているため、じっくりと時間をかけて一着を探す楽しみ方に向いたブランドだといえます。派手な主張のない服を、控えめに、しかし長く着続けたいと考える人にも相性のよい作り手です。
中古市場でのMarina Yeeの位置づけ
Marina Yeeが2025年11月に亡くなったことで、中古市場における評価軸には変化が生じつつあります。生前の作品は、もともと寡作であったことに加えて、1986年前後の「Marie」時代、2018年の「M.Y. Project」、2021年以降の「M.Y. Collection」という各時期の点数自体が限られているため、作り手の逝去を機に、資料的な価値を意識した取引が増える可能性があります。日本国内での流通は、Vestiaire Collectiveなどの海外委託販売プラットフォームや、Antwerp Six関連のヴィンテージを扱う専門店経由が中心で、フリマアプリでの流通量自体はまだ多くありません。
個体を選ぶ際は、まずどの時代のものかを見極めることが重要です。「Marie」期のテイラリングはブランドタグの表記が現在の「Marina Yee」とは異なるため、タグの文字列を必ず確認してください。2021年以降の「M.Y. Collection」はヴィンテージ素材を再構築した一点もの中心のため、同じ型番が複数存在しないことも珍しくありません。購入時には、販売元がどの時代のコレクションかを明確に説明しているかどうかを確認しておくと安心です。Antwerp Sixという集団のなかでも流通量が際立って少ないブランドである分、真贋や来歴の説明が丁寧な販売元を選ぶことが、ほかのブランド以上に重要になります。
価格帯についても、旧版の記事にあった具体的な金額の記述は裏付けとなる一次情報が確認できなかったため、本稿では踏み込んだ数字を挙げていません。一般的な傾向として、Antwerp Six関連のヴィンテージ全般は、他のベルギー系デザイナーズブランドと比較しても流通量の少なさから高値がつきやすい市場だとされており、Marina Yeeの作品もその例外ではないと見られます。購入を検討する際は、単発の出品情報だけで判断せず、複数の販売元や過去の取引事例を比較しながら相場感をつかむことをおすすめします。
資料としての価値を考えるうえでは、Marina Yeeが同世代のAnn DemeulemeesterやDries Van Notenのように大規模な事業拡大を選ばなかった点も踏まえておく必要があります。生産点数自体が少なく、なおかつ本人が長期間にわたって表舞台を離れていたことで、記録として残っている個体の情報も限られています。古着として一着を手に入れることは、単に希少なアイテムを所有するというだけでなく、Antwerp Sixという集団の歴史のなかで、もっとも語られてこなかった側面に触れる機会でもあるといえます。
Marina YeeはAntwerp Sixの正式なメンバーですか
はい。Marina Yeeは、Ann Demeulemeester、Dries Van Noten、Walter Van Beirendonck、Dirk Bikkembergs、Dirk Van Saeneとともに、1986年にロンドンのBritish Designer Showへ出展した6人のベルギー出身デザイナーの一人であり、Antwerp Sixの正式なメンバーとして扱われています。6人のうち唯一の女性デザイナーでもありました。Martin Margielaのように、のちに国際的な評価を得たベルギー出身デザイナーも他にいますが、1986年の出展メンバーには含まれていません。
Marina Yeeは現在も活動していますか
いいえ。Marina Yeeは2025年11月1日、がんとの闘病の末に67歳で亡くなりました。2021年の「M.Y. Collection」以降の作品が、本人名義で発表された最後期の仕事にあたります。2024年末のBelgian Fashion Awards審査員賞受賞や、2025年のSTIJL回顧展への参加が、生前最後に伝えられた大きな出来事です。
旧「MY」ブランドと2018年以降の「Marina Yee」名義は同じものですか
系譜としてはつながっていますが、名義は同一ではありません。1986年に興したブランドの名称は「Marie」で、2018年の再始動時は「M.Y. Project」、2021年のコレクションは「M.Y. Collection」という名称が使われています。「MY」という名義そのものを裏付ける一次情報は確認できなかったため、本稿ではこの表記を採用していません。
まとめ
Marina Yeeの歩みを一次情報で確認し直すと、1986年のAntwerp Six集団デビューという華々しい出発点のあと、1990年前後に商業的な発表を止め、ブリュッセルでのカフェ経営やゲント・ハーグ・トゥルネーでの教職といった、ファッションの表舞台とは異なる場所で30年近い時間を過ごしてきたことが見えてきます。2018年の東京での「M.Y. Project」、2021年の「M.Y. Collection」を経て、ようやく自身の名前で再評価される機会を得たものの、2025年11月に67歳でその生涯を閉じました。旧版の記事にあった「Royal Academy of Fine Arts Antwerpでの20年間の教鞭とDemna Gvasalia・Glenn Martensの育成」「2017年のMARINA YEEリバイバル」「創業時からのサステナビリティ路線」といった記述は、複数の一次情報を確認するかぎり裏付けが見当たらず、本稿ではあらためて整理しました。Antwerp Sixのなかでもっとも寡黙だったデザイナーが遺した、数少ない作品の一着一着を、その歩みとあわせて見てみてください。











